今回は、バリアフリー日本語字幕の「基準やルール」について、私の経験を交えながらお話しします。
私が字幕制作に携わる中で気づいたことや驚いたことなどを記事の中でお伝えすることで、「へぇ〜!」や「なるほど!」と新たな視点を持っていただけると嬉しいです。
それでいいの⁉︎ 字幕のルールと基準
バリアフリー日本語字幕と一口に言っても、実は各媒体や制作会社ごとにルールが異なることをご存知でしょうか?
映画、テレビ、配信プラットフォーム、舞台字幕、タブレット字幕など、それぞれに合わせた基準や工夫があります。
意外に思われるかもしれませんが、翻訳も含めた字幕業界には明確な統一基準は存在しません。
「これをベースで作れたら良いよね〜」…といったガイドラインはありますが、それもポスプロ(ポストプロダクション)や媒体のシステムなどによって大きく異なり、同じ作品でも媒体によって字幕の表示方法などが変わることは珍しくありません。
例えば、バリアフリー日本語字幕では「1行に17文字まで」とする場合もあれば、「1行に20文字までOK」というケースもありました。
こうした違いは、「どこで使われるのか」「何で視聴するのか」に応じて、最適化されているためです。
翻訳字幕、バリアフリー字幕、CC、テロップは何が違うの?
- 翻訳字幕
外国語を母語に翻訳した字幕です。
セリフを要約し、1秒あたり4文字、1行最大13文字といった基準で制作される会社が多いです。
シンプルでありながら作品の雰囲気を損なわない工夫がなされています。
- バリアフリー日本語字幕
発話(母語)や効果音はほぼそのまま字幕(母語)にし、視覚的にすべての情報を伝えることを目的としており、情報保障を第一目的としています。
翻訳字幕とは異なり、1秒あたり約7文字、1行最大17〜20文字程度で、音や音楽の情報まで視覚化するのが特徴です。
- クローズドキャプション(CC)
字幕を自由に表示・非表示させることができます。
発話をそのまま表示することが多く、文字数制限が少ないのが特徴です。
音の表現にはアイコンや記号を使うことがあり、背景音や環境音のイメージを補足する役割を果たします。
これらは厳密に統一された基準があるわけではなく、制作会社やキー局などによって異なる場合があります。
そのため、視聴環境によって字幕の内容や配置が変わることがあります。
- テロップ
文字制限などはなく、特定のセリフだけが目立つデザインで表示されます。
太文字にしたり、色を変えたり、フォントを変えたりと文字を装飾することで、エンタテインメントとしての役割を担っています。
※字幕とテロップをよく間違えられることがあります。
これは視聴者もそうですが、クライアント(発注者)も理解していることが少なく、いつも回答に困ってしまいます。
字幕は映像が完成した後の最終工程(外部発注が多いです)の段階で付けますが、テロップは映像編集作業のため、映像の編集・制作の段階で作成されます。
ただし、これらも厳密に同じ基準が存在するわけではなく、制作会社や媒体のシステムによって細かい違いがあるため、視聴する環境に応じて字幕の内容や配置が変わることもあります。
メディアごとに変わる「字幕の役割」
これまで多種多様の字幕制作に携わる中で、字幕が果たす役割は、媒体によっても異なるのだと気づきました。
※個人の意見です。
- 映画館
映画館の字幕は、観客が作品の世界観に没入しやすく、なるべくストレスにならないような設計が求められます。
文字の大きさやタイミング、色味が細かく調整され、スクリーンに集中しやすい工夫が施されています。
- テレビ
テレビ放送の字幕は、家庭という明るい環境で見やすいよう、大きく表示されます。
キャラクターごとの色分けや名前の表示も加えられ、背景音や効果音が視覚的に補足されることが一般的です。
- 配信プラットフォーム
スマホやタブレットなど、視聴デバイスが多様な配信プラットフォームでは、字幕のサイズや位置を自由に調整できることが多いです。NetflixやAmazonプライム・ビデオでは、聴覚障害者向けの字幕(SDH=Subtitles for the Deaf and Hard-of-hearing)を導入している場合もあります。
最近では、デバイス側で個人好みに字幕をカスタマイズして表示させることも可能になっています。
余談ですが、アメリカに旅行に行った際に、全ての放送に字幕をつけることが法律で義務付けられており、公共施設のテレビでは最低1台は字幕を表示設定で流さなければいけないことに驚きました。
日本では昨年4月に「障害者差別解消法」の“合理的配慮”が義務化されましたが、当事者の声がなかなか届きにくく、届いても多くの課題が山積みなことも現状です。
なぜ、あっちには字幕があるのに、こっちにはないの?
「どうして、この配信サービスには字幕があるのに、あっちのサービスに字幕はないの?」という疑問を持つ方も多いかもしれません。
実は、字幕をつけるかどうか、またどの基準で制作するかは、制作会社や配信プラットフォーム(システム)などの方針によって決まります。大抵の配信システムでも対応可能なファイル形式がこの数年で出てきましたが、システム自体がまだまだ追いついていなかったり、母体企業が海外のために開発がなかなか進んでいない現状があるようです。
また前述しましたが、ポスプロや配信システムによっても字幕のルールが異なるため、同じ作品でも媒体ごとに表示方法や基準が変わることがあります。
字幕制作には「客観性」が欠かせない!?
字幕制作において重要なのは、「客観性」です。
どの制作者も同じかと思いますが、私がこれまでに携わった作品では、特に音の表現では視聴者の想像を邪魔しないように制作しています。
例えば、クライマックスシーンで「遠ざかる車の音」(※映像には映っておらず、音のみ)と記載すると、『別れる』『終わる』『寂しい』といった視聴者の想像を、制作者が意識的に操作してしまう恐れがあるからです。
そのため多くの場合は、「車の走行音」「遠くを走る車の音」といった表現が用いられます。
バリアフリー日本語字幕も翻訳字幕も、視聴者が自由に物語を感じ取るための「余白」を残すことが大切です。
字幕はただの文字ではない
字幕制作者には色々な制作者(ライター)がいます。
企業の字幕制作部署に所属している人、ポスプロに字幕制作者として登録し副業で働いている人、フリーランスで働いている人、本当に背景はさまざまです。
作っている根底(どんな心持ちで作っているか)もさまざまです。
字幕が好きでライターになった人、部署異動で基準に乗っ取って“仕事”として制作する人、ボランティアの人、家族背景で字幕制作者となった方。
字幕スクールで多くの方々の物語に出会ってきました。
以下は、私の字幕を制作する際の心の在り方です。
字幕は単なる文字の羅列ではなく、映像や音声と一体となって「生きている」ものでなければならないと思っています。役者が「役を生きる」ように、字幕も「言葉を生きさせる」必要がある。
私は役者出身で、「役を生きなさい!」という言葉に影響を受けています。
それと同じように、字幕も「言葉が生きていなければ、感情やストーリーを伝えることはできない!」と思っています。
文字数が限られている中で、どの情報を伝え、どこを削るか… 情報の取捨選択が大きな課題です。
字幕でキャラクターの個性を伝える
例えば、登場キャラクターごとに、言葉遣いや表記が工夫されているのも面白いところの一つです。
語尾にカタカナを使うキャラクター、笑い声を台本通りではなく役者の声の聞こえたままに近い表記に直したり、全ての字幕がひらがなのキャラクターもいました。
勝手な考えですが、こうした細かな表現がキャラクターの個性を引き立て、視覚的にそのキャラクターを感じることができるのではないかと思っています。



バリアフリー字幕の課題と本質
日本にはバリアフリー日本語字幕制作のスクール(職業訓練校のようなところ)は少なく、また字幕を必要とする当事者の講師や協力者が不在なことに不安があります。
バリアフリー音声ガイドのクラスには視覚障害当事者が参加している場合が多いですが、バリアフリー日本語字幕のクラスにおいては、聴覚障害者や字幕を必要としている人の“当事者性”という視点が欠けがちです。
その問題として、手話通訳士の確保や通訳費用も存在し、現場でもバリアフリー制作における重要な側面です。
手話通訳士の不足やその費用が高額になることがしばしばありますが、字幕制作に関するルールや基準も、障害を持つ当事者の意見を反映しているかという点にも疑問を感じることがあります。
結局、字幕は「誰のためのものか?」という根本的な問いに立ち返ると、社会全体として本当に必要なことが何かを探ることが重要です。今後の課題として改善が必要だと感じています。
字幕スクールに通っていた時は、字幕制作という技術的な部分に集中することが多く、
実際にバリアフリー日本語字幕がどのように使われ、どのように人々に影響を与えるかについては、あまり深く考えたことがありませんでした。
“プロ”としてバリアフリー日本語字幕を制作するようになってからは、その重要性に気づき、同時にその課題にも直面するようになりました。
実際、バリアフリー日本語字幕制作を学べるスクールの少なさもそうですが、その中での学びの場にも欠けている部分が多いのではないかと感じました。
バリアフリー日本語字幕の制作において、特に目を向けるべき点は、字幕を必要とする当事者が直接参加する機会が限られていることも原因の一つではないかと考えます。
では、バリアフリーは「障害者のためだけのものか?」という問いについても、日々考えさせられます。
もちろん、障害のある方々にとっての情報へのアクセスを確保することは大切です。
ですが、同時に社会全体にとっての包括的な環境作りの一環として捉えるべきで、バリアフリー日本語字幕は、障害のある方々だけでなく、すべての人々がより多くの情報にアクセスできるようにするための手段でもあります。
そのため、制作段階での視点は、偏りなく、ひいてはすべてのユーザーに向けたものとして設計されるべきなのではないかと最近の現場では痛感しています。
「もう、バリアフリーもユニバーサルもインクルーシブルも古い。できればそんな言葉は使わない社会にしたいですね!」と先日の検討会で、字幕モニターさんが弱々しくおっしゃっていたのが印象的でした。
こうした複雑な要素が絡み合って、バリアフリー日本語字幕制作には常に見直しと改善が求められています。
誰もが満足できる最適解を見つけることは難しいかもしれませんが、共に創り上げていくことで、より多くの人にとって意味のあるバリアフリー字幕が生まれるのだと思います。
字幕制作者や関連するすべての関係者が一丸となり、障害当事者を含む多様な視点を反映させることこそが、
今後のバリアフリー日本語字幕制作の鍵となるでしょう。
字幕は、媒体ごとに最適化された職人技
いかがでしたか?
字幕はただ文字を並べるだけの作業ではなく、作品を理解し、視覚や聴覚、音を越えて、その本質を伝える「職人技」なのです。
※個人の意見です。
ポスプロや媒体によって基準が異なり、最適な形で字幕が作られていきます。
私自身、字幕制作を通じて、その難しさや奥深さを実感し続けていますが、それでも「どんな形であれ、視覚的に表現できることに喜びを感じる」という気持ちは変わりません。
前の記事にも書きましたが、
私も最初は「情報は聞こえたまま、聞いたままをプレーンな状態で渡さなければ(伝えなければ)ならない」と、教わった通りに作っていました。
しかし仕事をしていくうちに、「聞いたまま、聞こえたままだけだと、何も伝わらんよ!!」と気付き、最初は監修者に怒られながらも、たくさん考えました。
主観が入らないように細心の注意を払いながら、字幕制作者が作品を壊したり・変えてしまわないように、とても慎重に推敲しました。
字幕はお芝居をしてはいけない。活字のようにスラスラと読むけれども、その『読んだ』記憶は残らない。
私が今一番目指しているユーザーの感覚が、まさにここです。
♪〜 道は長いよ…どこまでも…… と、ボヤきながら今日も楽しく字幕を制作しています。
次回は…
映像を観る楽しさは、ストーリーや役者、映像美のみではありません。
鑑賞環境やアクセシビリティによって大きく左右されます。
AIやデジタル技術の進歩が目覚ましい昨今ですが、実際にはアクセシビリティなどの鑑賞スタイルにどう影響しているのでしょうか。
エンタメコンテンツに従事する多方面の関係者の方々と対談をしてきました。
その内容を数回にわたってご紹介いたします。
お楽しみに!!