最近、大きな劇場や公演でも採用されることが増えてきた「舞台手話通訳」と「舞台字幕」。
聞こえない・聞こえにくい観客をはじめ、さまざまな人に観劇の場をひらく重要な鑑賞ツール(鑑賞サポート)として注目が高まっています。
しかし、その制作現場をご存知でしょうか。
舞台字幕は、字幕制作者・字幕オペレーター・サブスタッフ・他スタッフなど、1チーム約3〜5名で構成されます。
今回は、私が経験した舞台字幕の仕事や、現場で直面する課題、そして字幕が単なる情報保障を超えて“作品の一部”となるための工夫や葛藤など…舞台字幕の舞台裏をご紹介します。
現場の始まりはいつも“未完成”
舞台字幕の制作で、まず最初に必要になるのは「台本」です。
ですが、この台本、なかなか届きません(笑)
演劇の現場では、稽古を重ねながら台詞や構成がどんどん変わっていくことが多く、最終決定稿が手元に届くのは本番直前ということも少なくありません。そのため、字幕制作者は“まだ固まっていない言葉”を相手に作業を進めていくことになります。
そんなとき頼りになるのが、「テキレジ(テキストレジメ)」と呼ばれる稽古用の簡易台本です。
これは、稽古中に俳優が実際に話した言葉を記録したものです。正規の台本ではないものの、現場の言葉の“最新の形”を知る手がかりになります。団体やカンパニーによっては、テキレジを稽古のたびに更新・共有してくれるところもあり、その情報の鮮度が字幕の質を大きく左右します。
字幕制作者が稽古場に実際に足を運べるのは、たいてい1〜2回。
俳優や演出家にとって集中力を必要とする場面でもあり、外部の人間が入れるのは限られています。そのため、字幕制作者にとっては「ゲネプロ」や「関係者公開稽古(プレスリリース)」が最も貴重な観察の機会です。
この短い時間に、小道具、衣装、話し方や芝居のクセ、動きのタイミング……あらゆる情報をチェックし言葉で記録していきます。撮影はNGなため、記憶と走り書きが命綱。そのため1秒でも多く目と耳を使います。
その後は、共有された稽古動画を見返しながら、字幕の修正と精度を高めていきます。
舞台は“生もの”です。本番中に台詞が飛ぶ、変わる、アドリブが入る。
そんな瞬間は当たり前にやってきます。字幕オペレーターは常に緊張しながら操作卓に向かっています。
最大の難所が「アドリブ」や「言い換え」への対応です。
役者ごとにアドリブ傾向を把握し、素材の表を作成したり、複数のバリエーションを用意したりして、本番中の変化に備える――そんな地道な準備が舞台裏にはあります。
それでも、長台詞をアドリブでまるごと差し替えるような“豪腕”俳優に遭遇した話は、また別の機会に……。
つまり、舞台字幕とは「予定された言葉」ではなく、「いま・ここで発せられている言葉」との綱引きです。
舞台の呼吸にぴったりと寄り添うためには、観察力と想像力、そして膨大な試行錯誤が欠かせません。舞台が生きているかぎり、字幕もまた、生きものなのです。
そして、ブラッシュアップを経て、一般上演日に実際に字幕を聴覚障害当事者にチェックしていただきます。観劇したその足で当事者・字幕制作者・劇場側・オペレーター・制作チーム・カンパニーを交えて検討会に入ります。
字幕も作品の一部でありたい
舞台字幕が担うのは、ただ台詞を“出す”ことではありません。
その表示の仕方ひとつで、作品の世界観を支えることもあれば、壊してしまうこともあります。それほどに、字幕は舞台空間と密接につながっています。
たとえば、台詞を誰が話しているのかを分かりやすくするために、キャラクターごとに字幕の色を変えることがあります。赤、青、緑、黄……単純に役者の衣装や性格に合わせて使い分けることもあれば、複数の人物が同時に話すときに、読みやすさを保つために色を用いることもあります。
しかし、あまりにポップな色使いをすると舞台の雰囲気とちぐはぐになってしまいます。
読みやすさと“作品の一部”としての自然さ、そのどちらも大切にしなければなりません。
その中でも、フォント選びは私にとって楽しみの1つです。
可読性はもちろん、舞台の時間が長くなればなるほど、観客の目の疲労も大きくなります。
膨大なフォントの種類から、キャラクターや時代背景、オノマトペや叫びの大きさや感情によって視覚的に瞬時に理解できるものを使用するようにしています。
特に字幕タブレットを利用する観客にとっては、長時間の読書と同じかそれ以上の負担がかかります。そのため、少しでも目が滑らないように文字の大きさや行間を微調整するのも、字幕制作者の重要な仕事です。
また「イントロ字幕」と呼ばれる、事前に登場人物の名前や設定、舞台の時代背景、字幕説明などを表示する仕組みも取り入れられています。
これは、作品の冒頭から字幕に追いつけなかったり、情報の少なさから混乱してしまったりすることを防ぐための工夫です。ほんの数行の字幕であっても、その有無が観劇体験を大きく左右します。
字幕の役割は“正確に伝えること”だけではありません。
観客の感情の流れを乱さず、むしろ後押しするような存在でありたい。
そのためには、演出と調和し、観客の集中を妨げず、舞台の一部として自然に溶け込むことが求められます。
字幕は言葉を届けるためのツールであると同時に、演劇という表現に寄り添うための繊細なデザインでもあるのではないかと思います。
イラストは“伝える”のに使っちゃいけない?
舞台字幕は、「情報保障(鑑賞サポート)」の一環として取り入れられることがほとんどです。
助成金や補助制度も、字幕や舞台手話通訳などのバリアフリー施策を条件に交付されることがあり、公演団体にとっても実施の後押しとなっています。
しかし、そこには見えづらい壁も存在します。
一つは、採択の審査基準です。
字幕が「情報保障」と認められるには、“過剰に演出的でない”ことが求められるケースが多く、イラストや記号、ポップなデザインなどは華美な装飾とされ、“鑑賞サポート”とみなされないことがあります。
直感的に理解しやすく、観客の負担を減らす手法であっても、制度の枠組みには収まらない。結果として、表現の幅が狭まり、「観客に伝わる字幕」から遠ざかってしまうこともあるのです。

もう一つは、字幕の「チェック体制」の問題です。
字幕がついていること自体がゴールとされ、「しっかり理解できるのか」「情報が的確に伝わるのか」といった視点が置き去りにされることがあります。
聴覚障害のある当事者が制作に関与し、字幕を事前に確認する「クオリティチェック」が行われる現場は、まだ多くはありません。
舞台手話通訳のように視覚的に目立つ存在と比べて、字幕は“目立たない支援”として、認知も評価もされづらい側面があります。
さらに、聞こえる観客の理解や反応も字幕のあり方に大きく影響します。
字幕投影や字幕タブレット貸出があると知っても、利用に対して消極的だったり、「チラチラと目に入ってしまう」と歓迎されない声が多くあります。
しかし、本来、字幕は“誰にとっても”観劇の幅を広げうる存在です。
音の聞き取りにくいシーンや、複数人が同時に話す場面、あるいは劇場の音響に限界がある場面などでも、字幕があることで物語の理解が深まることは決してデメリットではありません。
それでも実際は、貸出台数や予算の都合などから、字幕機貸出は“聴覚障害者のみ”が対象となっています。
舞台字幕は、「つければそれでよい」ものではありません。
どんな言葉を、どんなふうに、どんな相手に届けるのか。
それを考え続ける責任が、制作者にも、劇場にも、公演を創るすべての人にあるはずです。
現場で積み重ねられる工夫や対話が、制度を動かし、認識を広げていく――その道のりは決して簡単ではありませんが、それでも誰もが楽しめる選択肢を増やすことを諦めたくないと思うのです。

ことばが届く選択肢をもっと
舞台字幕は、まだ発展途上の表現です。
技術も運用方法も、作品ごとの工夫や試行錯誤に支えられており、いわば「一つ一つが実験」のような現場が続いています。だからこそ可能性があるとも言えます。
舞台という“生”の空間で、ことばが“見える”という体験が、誰かにとっての初めての扉になるかもしれません。
情報保障としての使命を持ちつつも、字幕は単なる補助的ツールではなく作品の一部として観客の想像力を補完します。
しかし現実は、制作環境の整備や制度とのすり合わせ、当事者との協働体制など、課題は山積みです。
とりわけ、当事者チェッカーの不在や、字幕への理解の乏しさ、予算面での制約といった現実は、クオリティを安定的に保つための大きな壁となっています。
それでも私たちは、字幕を求める人が1人でもいれば、その1人のためにでもバリアフリー字幕は制作します。
耳で聴くことばも、目で読むことばも、等しく舞台に流れている。
それを見つめるすべての人が、物語に没入できるように。
バリアフリー字幕がただの“情報”ではなく、効果音や照明のように“演劇”の一部として確立される未来を目指して。