はじめまして!よっしです。キコニワでライターとして書く機会をいただけて嬉しいです。
今回は自己紹介も兼ねて、ざっくりと自分の人生の欠片を拾い書きしていきたいと思います。
「神様」といっても宗教とかオカルト系ではないのでご安心ください。笑
1. 私の日本語の教科書は「マンガ」だった
私はデフファミリー三代目として育ち、第一言語は日本手話でした。
幼少期、聾学校での厳しい発声訓練と日本語読み書きの訓練、そして家で安心できる視覚的言語である手話環境とのギャップの苦しさを和らげてくれたのが、いとこの家にあった少年マンガでした。
それまでは本といえば親に読み聞かせしてもらっていた絵本ぐらいで、最初は吹き出し、コマの読み方(上から下、右から左)すらわかりませんでした。
でも、ページをめくるたびに広がる物語の面白さに夢中になり、繰り返し読みふけるうちに、マンガは私にとっての最高の日本語の教科書となったのです。
それ以来親にせがんでマンガを買い続けて、現在は家に2000冊以上あり、電子書籍も合わせると数が把握できないほどになりました。
言葉を理解することで
いろんな世界とつながれる――
そのワクワク感が、私の表現活動のすべての始まりでした。
2. 創作に没頭した日々:同人小説とマンガが教えてくれた「書く楽しさ」
中学生の頃、インターネットを通じて世界はさらに広がりました。
大好きなマンガのファンサイト(同人サイト)に没頭し、物語、世界観を作れる人は神様というふうに思っていました。
サイトを巡るうちに、「自分でも物語を作ってみたい」という想いが抑えきれなくなったのです。
高校生、専門学校生、そして社会人になってからも、同人小説や同人マンガを描き続けてきました。
キャラクターの感情を言葉に乗せ、誰かに読んでもらう。
その喜びを知っていたからこそ、私にとって「書くこと」は、常に生活の一部であり、大好きな自己表現の一つでした。
プログラマーとして就職した後も、「絵や文章がかけてよかった」と思う場面が多々ありましたが、
その根底にはいつも「物語を作りたい」という創作意欲がありました。
3. 「世界を作る神様」を目指した、プログラマー時代
言葉や物語、マンガの次に私を虜にしたのは、ゲームでした。
小学生の時に出会った『ポケットモンスター』。
「こんな小さな箱の中に、こんなに大きな世界が入っているんだ!」
という衝撃は、今も鮮明に覚えています。
その感動はやがて、
「ゲームプログラマー(神様)になって、自分も世界を作りたい」
という野望に変わりました。
色々あり、聾学校を中退して高卒試験を受けた私は両親の反対を押し切り、将来のビジョンを必死に説得して専門学校へ進学。
その後、大手ゲーム会社に入社し、当時発売前の新ハード(PlayStation Vita)向けタイトルやWiiU、そしてアーケードゲームの開発の経験という、大きな財産を得ることができました。
4. 「神様」の挫折、そして現在
ゲーム制作の現場は毎日が刺激的でしたが、大きな壁にもぶつかりました。
私は信頼していた同期に要約筆記を頼りすぎてしまい、彼女を追い詰めてしまったのです。
ある日、彼女から「私も忙しいから、別の人に頼んで」と告げられた時のショックは忘れられません。
このあたりはいつか詳しく書きたいと思います。
ゲーム会社を二社経験しましたが、最後の会社が倒産してしまい、現在はゲーム業界から離れ、離婚を経て、シンママとして難病・発達凹凸児の子育てをしながら地元のろう協会の職員として働いています。
…最後さらっと書きましたが、我ながら結構波乱万丈な人生かもです。笑
ただ、多忙を極め、ここ数年しばらくは創作活動から離れていました。
5. 「書くこと」で、新しい物語を始めていきたい
これまでは、地元に帰ったあと有志と立ち上げ、きこえない・きこえにくいお子さんの家族のための情報交換の場として運営している、
きこえ子育てサークルもいもいのブログでスタッフとして自身の経験を綴ってきました。
「どうすれば伝わるか」という試行錯誤の連続でしたが、同時に、かつて同人活動に没頭した時のような
「書くことへの楽しさ」を再確認する時間でもありました。
そして今、縁があり私は新しい場所、ここでライターとして物語を綴っていきます。
少しでもクスッと笑ってもらえたり、何かに役立ててもらえたら嬉しいです。
次回は「アメリカ旅行編」です。
この夏、家族8人(内、ろう難聴4人)で初めてロサンゼルスとハワイに行ってきました。
そこでろう当事者として感じたことやTips的なことを書けたらいいなと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします!

