セルフアドボカシーのスキルを高めてみませんか?

分かったふりをする、聞こえない自分はダメなど、こういうときは「セルフ・アドボカシー」が必要!

皆さん、こんにちは!

皆さんが生活している環境には、さまざまなバックグラウンドを持つ人々がいます。たとえば、文化や習慣、価値観、生まれ育った環境、言語が異なる日本人(日本手話、琉球語など)や海外から来た人、障害者など、多様な人々が共に暮らす社会となっています。

聴覚障害者もその一員であり、教育や家庭環境によって文化や価値観などはさまざまです。

共通しているのは「聞こえない」ということですが、単に音が聞こえないだけでなく、音声を使った会話や周囲の音、音声による情報が得られないという特徴があります。

たとえ聞こえづらい人が聴者並みに話せる場合でも、周囲の音が聞き取りにくかったり、騒がしい場所での会話が難しかったりすることがあります。

今回はセルフアドボカシーについてお話します。聴者の皆さんにもぜひ知っていただけたら嬉しいです。

また、聞こえの程度は人それぞれで、一括りにするのではなく、個人それぞれの事情を理解しながら読んでいただけると嬉しいです。

目次

聞こえない人のバックグラウンド

耳が聞こえない人々のバックグラウンドについて見ていきましょう。

前述したように、人は誰もが同じ環境にいるわけではありません。聞こえる人々にも似た環境はあるかもしれませんが、文化や習慣、教育、家庭環境はそれぞれ異なります。同じように、聞こえない人々もさまざまな背景を持っています。

子育て

先天性難聴の子どもが生まれる割合は約100人に1人とされています。その親の多くは聞こえる人(以下、聴親)です。

聞こえない人と関わったことがない聴者が突然、先天性難聴の子どもを育てる立場になると、ショックや戸惑いを抱えることは想像に難くありません。

そのような場合、最初に出会うのは医師やろう学校の乳幼児教育専門の担当者、言語聴覚士などの専門家でしょう。彼らを通じて、さまざまな情報や選択肢を知ることになります。

聴親の中には、聞こえない子どもの将来を考えて、手話や補聴器、人工内耳を選ぶ方もいます。ただ、その決断は簡単なものではなく、「この選択でよかったのだろうか」と悩み、繰り返し専門家に相談することも少なくありません。

最近では、補聴器や人工内耳を装用する子どもが増えていますが、自ら手話を学び、手話を使って子育てをする聴親や、音声(口の形や動き)を使って育てる聴親、さらに両方を取り入れて子どもが選べるようにする聴親もいます。

一方で、ろうの親を持つろうの子どもたちは、手話を母語として自然に使いながら育ちます。子どもたちは、ろう親が聴者とどのように関わるかを日常生活の中で目にし、その方法を自然に学びます。また、ろう親の友人やその子どもたちと触れ合う機会が多く、さまざまなろう者の生き方に触れることができます。ただ、このような環境がすべてのろうの家族に当てはまるわけではありません。

聴親のもとで育つ聞こえない子どもは、身近にろう者のロールモデルが少ない場合が多いです。そのため、聴親のもとで育った聞こえない子どもたちは、聴者主体の環境の中で「聴者に合わせなければならない」と無意識に考えるようになり、自己否定感を抱いてしまうこともあります。

例えば、補聴器をつけていることを隠したり、聞こえたふり(わかったふり)をしたり、学校では聞こえる子どもたちの動きを模倣して行動するなど、無意識に行ってしまうことがあります。

学校教育

学校教育においては、地域の学校に通う人もいれば、ろう学校に通う人もいます。地域の学校には2つのケースがあり、1つは聞こえる子どもと同じクラスで学ぶ、もう1つは特別支援学級で国語や算数を学びながら、社会や体育、音楽などを聞こえる子どものいるクラスで受けるということがあります。

ろう学校や特別支援学級での教育を受けた人の中には、授業中に発音の誤りをその場でなおされる経験をした人もいます。その際、授業を中断して発音練習をさせられることもあったようです。先生によっては、発音がきれいな生徒を高く評価する場合もあったそうです(現在の教育ではこのようなことはもう無いと信じています)。

私自身の経験ですが、先天性難聴で家族は私以外全員聴者でした。
地域の学校に設置された難聴学級に通い、そこで国語や算数をマンツーマンで学び、それ以外の科目は聞こえる子どもたちと一緒に受けました。しかし、支援はほとんどありませんでした。
授業中、周囲が突然笑いながら手を挙げる場面では、私も状況がわからないまま笑ったふりをしたり、小さく手を挙げてみたりしました。情報が得られない不安から、常に周囲の様子を気にしながら過ごしていましたが、授業で得られる情報は1日で約40%程度でした。それが当たり前の環境でした。
「分からない」など感じた違和感を自分の気持ちの奥底に押し込めて、「仕方ない」と無意識に言い聞かせていたように思います。

セルフアドボカシーの大切さ

セルフアドボカシーは、自分自身の意思や権利を主張し、必要な支援や配慮を求める行動を指します。日本語に訳すと「自分の権利擁護」という意味で、支援者が代わりに意思を伝えるのではなく、当事者自らが行動することを指します。この概念は、自分が自分らしく生きるために不可欠なものです。

自分の障害を受け入れ、理解し、周囲と効果的にコミュニケーションを取ることが求められます。

現代は多様な価値観や背景を持つ人々が共存する社会です。その中で、自分がどのような支援を必要としているのか、支援がないとどうなるのか、支援があればどのような変化が得られるのかを具体的に考えることが、セルフアドボカシーの第一歩です。こうした取り組みは、当事者だけでなく、周囲の環境にとってもプラスの効果をもたらします。

私は20代後半のときに、補聴器が壊れたことをきっかけに、音のない生活を選びました。その後、筆談や手話通訳を利用して自分らしいコミュニケーションができるように工夫した結果、聞こえない自分に自信を持てるようになりました。また、スーパーなどで地域の人々や子どもたちとすれ違うたびに会釈や挨拶の手話をすると、相手も私に手話で挨拶をしてくれるようになり、周囲とのコミュニケーションも変化しました。

このように、自分を大切にすることで、周囲との相互理解を深めることもできます。「困っていることはないか」と自然に声をかけてもらえるような環境をつくることも、その一部と言えます。自分の声を伝え続けることで、少しずつ社会に変化をもたらすことができるのではないでしょうか。

まとめ

手話に触れる機会がなかった聞こえない人が、SNSを通じてさまざまなろう者の存在を知り、聞こえる人中心の環境で抱えていたもやもやと向き合い、日本手話という言語と出会った結果、ろうコミュニティに参加し、自分の視野を広げたという経験も多く見られます。

セルフアドボカシーのひとつの方法として、自分が困ったこと、嬉しかったこと、悲しかったことなど、日々の気持ちに向き合い、それをノートやスマホのメモに書き留めてみるのも良いでしょう。そうすることで、自分の気持ちを言葉にしやすくなり、無理のなく自分らしくいられるようになると思います。

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分かったふりをする、聞こえない自分はダメなど、こういうときは「セルフ・アドボカシー」が必要!

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この記事を書いた人

読書とキャンプが大好きで、心地よいロケーションで本を読む時間が私の最高の癒しです。
CODAの2人を育てる母として日々奮闘中。
週間デフニュースを中心に、さまざまな情報を発信しています。
よろしくお願いいたします。

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