こんにちは!記事をご覧いただきありがとうございます。前回、自己紹介記事を投稿した大学4年生のつりざおです。今回は、私が通っていた中学校と高校のエピソードを振り返りたいと思います。
本記事は学生生活というより、難聴に対する付き合い方を中心にご紹介します。難聴のある学生が、どのようにして支援を受け、どのような学生生活を送っていたのか参考になればと思います。
通っていた中学校の環境
私が通っていた中学校は、公立の小中一貫校でした。中学校の同級生はほぼ全員小学校からの顔見知りで全員の名前も顔も合致していました。そのため入学時のギャップも少なく、学年で2クラスしかなかったため和気あいあいとした学校でした。普段の学校生活に加えて、母校の聾学校での通級も小学校から学期に1回の頻度で続けていました。
授業での配慮内容
私は中学校では特別支援学級に所属し、基本的には普通学級で授業を受けながらも配慮をお願いしていました。配慮内容は以下の4つです。
- ①授業やホームルーム時は先生にFMマイクを装用してもらう
- ②リスニング試験は、別室でスピーカーを目の前に置いて受験する
- ③音楽の実技はレポートで代替評価してもらう
- ④数学と英語は特別支援学級で受講する
④の特別支援学級については、次の段落で詳しく説明します。まず、通常学級ではFMマイクの存在が最も大きかったです。FMマイクとは、話をしている人の首にかけてもらうことで、話し手の音声を直接人工内耳に届けることができます。このマイクを装用すると、例えばクラスがざわざわしている時でもクリアに先生の音声が入ります。そのため先生の話を聞くことに割く労力が減るため、例えば話を聞きながらノートを取るということも容易にできます。
そして一番懸念していたのは、リスニング試験です。難聴のある私にとって、校内放送のスピーカーから流れる「機械音」というのは聞き取ることが非常に難しいです。話している人の口の動きは全く分からない上に、肉声と違う音、さらに音が反響すると集中していても聞き取ることは難しいものでした。しかし環境さえ整っていれば、英語の音声でも聞き取れる!と自信を持っていたため、スクリプトは用意してもらわずに別室でスピーカーを目の前に置いてもらっていました。
中学校のテストでは、主要科目に加えて副教科の存在も侮れませんでした。(余談ですが私の出身の兵庫県では高校入試の際、本番の試験と内申点が半分ずつくらいで合格判定が出るため、通知表の点数もかなり重要でした。)英語のリスニングよりもはるかに鬼門だったのは、音楽の実技試験です。メジャーコードやマイナーコードと言われても音の違いは分からないし、音程の概念も苦手なので歌もへたくそ…。そのため、音楽は毎回学期末にレポート課題を特別に課してもらい、苦手な実技をレポートでカバーしていました。
特別支援学級で英語と数学を受講した理由
特別支援学級で英語と数学を受講した一番の理由は、英語の授業形式が難聴者の私にとって難しいと判断したからです。中学校の英語の授業は、よく隣の席の人とペアになって会話するという場面がありますよね。教室の全員がしゃべっている中で隣の人の声を聞き取ることは非常に難しいものです。さらに、相手の発言に対して返答をしないといけないとなると、適当にやり過ごすわけにもいかないので、特別支援学級での受講をお願いしました。
そして、数学は私の苦手科目だったこともあり学校側の都合として英語と数学の時間を入れ替えてもらっていました。(普通学級が英語の時は特別支援学級で数学を受けて、という感じです。)英語は元々得意科目ではありましたが、得意科目だからといって授業に必ずしもついていけるわけではないと判断したことは今でも正解だと思っています。おかげで静かな環境の中でコミュニケーションを習い、基礎をしっかりと身に付けることができたと思っています。
高校入試での配慮内容
高校入試では、以下の内容を配慮として申請していました。私は一般入試の前に推薦入試を受験していたため、推薦入試を受けた学校に事前に申し出ていました。
- ①英語のリスニングは別室でスピーカーを前に置いてもらって受ける
- ②集団面接時はFMマイクを面接官の先生につけてもらう
- ③受験時は監督の指示が聞き取りやすいよう前方の座席にしてもらう
これらの配慮内容は、今まで定期試験で受けていた配慮や通級の先生と相談しながら決めました。普段から中学校でお願いしている内容だったため、スムーズに申し出ることができ、本番でも実力を発揮することができました。また事前に高校に申し出ることで、入学後自分がどのくらい配慮を受けることができそうかを判断するよい基準になったと思います。
私立高校も受験しましたが、リスニング試験がなかったため座席の配慮だけを申し出ていました。
良かったこと/困ったこと
中学校生活を振り返って良かったことは、何より同じ障害のある子がいたということです。先輩、同級生、後輩に同じ障害のある子がいたため学校としても難聴学級に対して手厚いサポートを頂きました。また、通っていた聾学校が中学校と近かったため先生同士の情報交換も行いやすかったため、非常に助かりました。今振り返ると、公立の学校ではあり得ないくらい良い環境で学ぶことができたと実感しています。特に特別支援学級で英語と数学を受けさせてもらった、ということは現場の先生方は私たちのために多く授業をやってもらったことになるので、今でも感謝しきれないほどです。
逆に困ったこととして、中学を卒業してから、障害に対する自己理解が人任せになっていたと気が付いたことです。同級生で難聴のある子と3年間クラスも同じで、常に行動していたため、自分が「聞こえにくい」ということを良くも悪くも自覚せずに過ごしていました。また、その同級生の子は積極的に配慮を先生に伝えていたため、あまり自分から伝えることがなかったことも反省点です。高校入学後、初めて自分だけが聞こえにくいという環境になった時、「私って意外と聞こえていなかったんだ…。」と発見することが増えました。
おわりに
今回は私の中学生活についてまとめました。正直、中学生活についてはかなり恵まれた環境にあったため、なかなか特殊だったと思います。高校生活では、周囲に難聴の子がいないという初めての環境に飛び込むことになります!どのようにして難聴に対する理解を得たのか、次回の記事もぜひご一読ください。