進行性の高音急墜型難聴のTさんとろう者と対談

こんにちは!

最近、色々なメディアで難聴について取り上げられてることが増えてきて嬉しいですね!

聴覚障害の種類が沢山ありますが、その中の一つの高音急墜型難聴を知っていますか?

なかなか聞かない病名ですね。

低い音は比較的聞こえているが、高い音になると急激に聞こえにくいことが特徴です。

難聴に気付かれないまま、音が聞き取れていることを前提とした教育を受けてしまった後、ようやく気づいてその時間を取り戻すという話です。

その記事に親近感を感じるという進行性の高音急墜型難聴のTさんがいたので、私と対談することになりました!

(対談する2人の紹介)

○Tさん(話し手)

きこえについて

→進行性の高音急墜型難聴

聴力

→両耳 100dB

低音部に残存聴力があります。

インプラントを挿れる前は125Hzが20dBでした。

今、残っているところは30dBくらい

○スノマナ(聞き手)

きこえについて

→先天性重度感音性難聴

聴力

→両耳 100dB以上

こちらの記事に聴覚障害の種類について説明しているので、お時間がある時に読んでみてくださいね!

目次

自己紹介

  • 九州出身
  • 父は中途失聴(元健聴者)、母は麻疹で生後数か月で失聴し、聞こえない両親のもとで育った。

デフファミリーに近いが、読唇が中心だったため、手話はあまり出来ない。

  • 聾学校は幼稚部に約二年間通う。

それ以降は、地域の学校に通う。

工業高校に進学し、卒業後の進路を悩んでいた時期に、知り合いから聴覚障害者が集まる大学の存在を知った。

国立で寮もあり、東京へのアクセスも良かったので推薦でチャレンジしてみたらたまたま合格できたので進学した。

現在は現在はIT企業で働いてる。

スノマナ

私もデフファミリーなので家族内では手話で会話しているイメージがありますが、Tさんご家族は手話で会話されなかったのでしょうか?

Tさん

手話は出来ないので使ってなくて、口パクで会話することが多かったです。
父と母は声を出し、私と姉は口を見せてという感じでした。

Tさん

両親は共に田舎で育ち、手話を母語とする方が身近にいない環境だったので、その環境で育った人が手話を習得して運用までするのはかなり難しいと思っています。
私は月1回手話カフェで手話に触れる機会を作っていますが、読み取りは何とかなっても表出(運用)するのはまだ厳しいです。

スノマナ

なるほど!
やはり、環境によって手話を触れる機会がないと使わないですよね。

これまでの聞こえの変化を教えてください

◎幼少の時

具体的な時期は不明ですが、保育園の先生が「呼びかけても反応がない」という連絡で発覚しました。

◎小学生の時

難聴が進行する前は、裸耳で電話ができました。

当時は、笛(ホイッスル)の音が聞こえないだけの健聴者というだけだと思っていました。

学力テストでは80~100点を取ることが多かったので授業についていけたと思います。

◎中学生の時

中1の時、難聴が進行するようになり、確実におかしいことに気づきました。

電話が出来なくなって、女性の声は聞こえなくなって、男性の声が近くにあれば、なんとか聞こえるけど読唇無しでは何を言ってるか分からない、という状態になっていました。 数学は応用問題が分からないままでした。

でも耳が原因というよりは、単にサボっていたのが大きな理由だったかと思います。

語音明瞭度※が低下していく難しい時期ではありましたが、部活の疲れを言い訳に中3になるまで全然勉強をしておらず、職員室に行って質問をしても分かったフリをすることも多く、向き合う事から逃避することが多かったです。

勉強面については単にそれまでの人だったんだろうなと思っています(笑)

また、補聴器店の人が、「補聴器を装着してその辺を歩いてみて」と言われ、実際に歩いたものの何も変化が無かったです。

当時の補聴器といえば、うるさいもの(変化があるもの)というイメージだったので、「何も変わらない」と伝えたら、「君の耳では着けてもあまり効果はないかもね」と言われたため、長年、補聴器を装着していませんでした。

◎高校生の時

「進行性」に気づきました。

小学生の時と比較して明らかにコミュニケーションが難しくなっていたからです。

先生から○○を持ってきてねと言われていたことに私が気づかず、当日に初めて知るパターンが多かったです。

男性の声ですら徐々に聞き取れなくなってきてる感覚があり、唇が見えてる状態で三回くらい喋って貰っても全く聞き取れなかったです。

◎就職活動を始めた時

後ほど説明しますが、「高音急墜型難聴」であることが分かった時期です。

中学生の時に買ったワイデックスの補聴器を装着してもあまり変化を感じませんでした。

補聴器を着けても何も変わらない、と聞こえない友人に言ったら、「それっておかしいよ。ちゃんと聴力に合った調整はされてるの?」と言われました。

その言葉をきっかけに色々調べたら、高音急墜型難聴という聴力を持つ人がいることを知りました。

◎社会人になった時

人工内耳の手術を決心しました。

社会人一年目の夏に右耳を手術、その三年後に左耳を手術しました。

人工内耳装用時の聴力閾値は20~30dBとまずまずですが、語音明瞭度※が低いです。

小児用の聞き取りテストでの成績が60%くらいです。

例えば、「スピード」と「スピードを出しているパトカー」では、「スピードを出しているパトカー」のほうが何を言っているのか分かりやすいです。理由としては、「スピード」を完全に聞き取れず、「〇〇ード」しか分からなくても、「~を出しているパトカー」と続けば、まるで穴埋め問題のように「スピード」だと推測できてしまうからです。
このように文脈で推測できるため、単語だけだと聞き取りがさらに難しくなると感じています。

※語音明瞭度とは?

聴力測定結果からいくつかの音の大きさで、一つの音節(「あ」「い」「う」「え」「お」等)を提示し、正しく聞き分けることができる割合のこと

スノマナ

私は、聴力検査だけ行っていたので、小児用の聞き取りテストは全然知らなかったです!
小さい時は読唇の訓練を受けてきましたが、なんとなく前後で推測できてしまうのあるあるですね。

保育園の先生が聞こえないのではないか、の連絡で発覚したとのことですが、その後両親に補聴器を装着するように、と医者が勧めることはしなかったですか?

恐らく勧めてはいたと思います。 幼少期の頃の動画を見ると補聴器を着けていました。

小学校の頃になるとあまり着けてなかったです。

理由としては、

・補聴器ケースを毎日ランドセルに入れるという作業が面倒だった

・装用するメリットをあまり感じず、着けてなくても何も言われなかった から

ランドセルは、教科書ですでにパンパンな上、補聴器ケースも追加となると、閉めるのが大変でした。

おまけに着けても聞こえる音に変化はないし、耳は蒸れるのと、汗で故障するかも…と神経をすり減らして疲れてしまうので、 着けなければいいという考えに至ったんだと思います。

外すとこういうデメリットがあるよという説明もなかったので、外したままで過ごすことが多かったです。

地域の学校に通われたとのことですが、学生や先生の反応はいかがでしたか?

拒絶はされてなかったけど、今でいうセルフアドボカシー※が全然出来てなくて、すれ違いなどが多くありました。

当時は「耳が聞こえません。」しか言っておらず、裸耳で電話が出来ていた時期は大きい問題にはなっていませんでしたが、

進行して全く聞き取れない状態だった中学生・高校生の時も同じように、「耳が聞こえません。女性の声が苦手です」しか言ってなかったので、反省点だなと思っています。

中学は、英語のリスニングテストがありますよね。

中三の後半の時期に学内模試?があったのですが、その時だけリスニングテストの回答欄には何も書かないで、白紙の状態で出したら後日先生に呼び出されて、「何で書かないの?書けよ」と叱責されるという事がありました。

当時の私からすると、リスニングテストなんて基本には全く聞き取れず適当に穴埋めしていて、全然当たらないパチンコをやらされている感覚だったので、白紙だったからといって呼び出すほどの事か?と思っていました。

高校は、電卓を持ってきてねと言われていたことに私が気づかず、当日になって電卓が必要だったことが発覚し、先生に「言ったよな?持って来いって!」激怒される事もありました。

今考えると、セルフアドボカシー※が全然出来てなかったな~と(笑)

※セルフアドボカシー

自己権利擁護(じこけんりようご)』といい、自分に必要なサポートを、自らまわりの人に説明して、理解してもらう活動のこと

スノマナ

「どういう配慮が必要か」だけではなく、「どうして配慮が必要か」というのもきちんと説明しないといけないけど、その歳で説明できるのが難しいですよね。
親がフォローしてこう伝えるといいかも、など行動しない限り、上記のような例が出てしまうなと感じました。

就職活動を始めた時に判明した高音急墜型難聴はどんなオージオグラム※ですか?

小学生4年の頃のオージオグラムと高校生の頃を参考に添付し、それぞれ解説します。

小学4年の頃

(解説)

このグラフの場合だと、 500Hzまでの音(男性と女性の声)は何とか聞えてるけど 500Hzより高い音(ホイッスル等)はほぼ聞こえてないか、かなり大きい音じゃないと聞こえないという状態かなと思います。

高校生の頃

(解説)

例えば蛇口の水漏れの音のように低くて小さい音は聞こえている状態ですが、女性の声や鳥の鳴き声・葉擦れといった高い音は聞こえにくいか聞こえてない状態です。

音声でコミュニケーションを取るには高い音の聞こえも大事なのですが、その高い音が全然聞こえてないので、言葉の聞き取りに影響が出ていることが多いかなと思います。

当時を振り返ると、チャイムや車、男性の声以外の音は全く聞こえてなかったです。
音声での生活にはかなり支障が出ている状態なのですが、高校生の私は勘違いしててずっと裸耳(らじ)で過ごしてました…(笑)

このタイプの聴力の人は、補聴器が役に立ちにくいみたいです。

今では補聴器も進歩しているので、役に立つようにはなってきているのかなって思います。

※オージオグラムとは?

さまざまな高さ・大きさの音を出し、それぞれの音の高さで聞き取れるいちばん小さい音を調べます。

検査の結果を表した表を言います。

縦軸に書かれている聴力レベル(㏈)は音の大きさを、横軸の周波数(㎐)は音の高さを表します。

「オージオグラム 読み方」で調べると、 より詳しく書かれています。

人工内耳の手術を決心した理由は何ですか?

理由が2つあります。

1つ目

補聴器が性に合わないのと、少しでも慣れ親しんでいた子供の時に戻りたかったから。

ちゃんと補聴器を使うようになったのは21歳からですが、イヤモールド蒸れることが嫌でした。

空気電池が切れたら、都度セロハンテープを巻いて絶縁して、補聴器店に持っていかなくてはいけないという管理が大変だった。 語音明瞭度も読唇が出来ない状態だと0%だったので、人工内耳でいいのではと思いました。

補聴器をちゃんと装用していたのは実質一年もないのですが、補聴器では小学生の時と近い状態には全く持っていけず限界を感じていました。

そして、手術をしてくれた主治医はその地域ではかなり経験がある人だと人工内耳のメーカーの人から伺っていたのですが、その主治医は「補聴器では聞こえがよくなることは期待できないと考えている」と聞いて、経験がある人が期待はできないと考えているなら補聴器はもういいかなと判断しました。

2つ目

将来的に都会で暮らしている自分がイメージできなかったから。

実家は田舎なんですが、仮に親の介護が必要な状態になって戻ることになる可能性を考慮すると、音声でやり取りが多少は出来る力が必須になってきます。 将来的なことを考えると補聴器は心もとなかったのも理由の一つです。

人工内耳の手術をするまでの流れを教えてください

大学卒業前に人工内耳を検討中の旨を相談しに近くにある大学病院へ行きました。

男性の医師で声が低かったので、何か喋ってる(音がしてる)のはギリギリ分かる+読唇で内容を把握しながらコミュニケーションを取っていましたが、

聞き取れていると判断したのか、「普通に喋れているから無理ですね」という反応で困惑しました。

「この基準を満たしてないから無理です」なら困惑はしてなかったと思いますが、体感としては50%も聞き取れてないのに無理なのだろうか?と疑問が深まりました。

医者や補聴器の人以外で詳しい人っていないかな?と調べたところ、いしだあやさんという言語聴覚士※の人と繋がることができました。 医者や認定補聴器技能者とは上手くコミュニケーションが取れていなかった部分があったので、そこを補うために

  • 補聴器の調整について問題はなさそうか。
  • 聞き取りがかなり不良だが、人工内耳の適応基準を満たしてないのか。

などの内容をいしだあやさんに相談しました。

その結果、社会人一年目の夏に右耳を手術し、その三年後に左耳を手術しました。

耳の事について相談するときは、医者、認定補聴器技能者、聴覚障害を持っている当事者に相談することが多いと思うのですが、 言語聴覚士(聴覚領域専門)という方にも相談ができるという事を知ってもらえたらと思います。

※言語聴覚士とは?

厚生大臣の免許を受けて、言語聴覚士の名称を用いて、音声機能、言語機能又は聴覚に障害のある人々に対して、

その機能の維持向上を図るため、言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助を行うことを業とする者です。

スノマナ

対応がひどい・・。
必要な検査及び助言、指導その他の援助を行ってくれたから、無事に手術出来てよかったですね!
このエピソードを読んだ方が言語聴覚士の存在を知るきっかけになるといいですね。

現在のコミュニケーション手段は何ですか?

私からは口話(発声)・読唇がメインで、手話と筆談はサブです。

ただ、騒がしいところだと上手く通じない時があるので、その時はスマホのメモで打ってます。

手話は大学入学後、覚えました。 ただ、あまり覚えられなかったので、手話(視覚言語)には適性が無かったのかもしれないです。

困っていたことは何ですか?

必要な時期に最適な支援や情報提供がされなかった事です。

本来は、補聴器の装用を検討した方がよい状態でしたが、補聴器店の人から「君の耳では補聴器を付けても効果はない」と言われたことを覚えていました。

そのため、ずっと裸耳で過ごしていました。

125Hz~250Hz以外ほとんど使い物にならない状態だったので、学校外でコミュニケーションを取ることは小学生の時より格段に減ってしまい、元々人見知りなのも相まって同年代の人との接し方を忘れてしまってるところがある気がしています…(笑)

適切な支援は難しそうですが、せめて情報提供をしっかりとを受けた状態で過ごしたかったなと今でも思います(笑)

障害の受容はいかがですか?

元々出来ていたことが出来なくなったという部分については、受容はまだできていないのかな感じます。

当たり前の感覚が変わったことに適応できていないのか、大学の時は寝付きがかなり悪くて横になって入眠できるまでに1~2時間かかっていました。

今は睡眠導入剤を服用する事で横になって30分以内に入眠出来ていますが、睡眠導入剤が無いと「どうしようか…」と考えてしまうので、まあ出来てないんでしょう(笑)

スノマナ

聞こえない自分を肯定的に捉えている人もいれば、そうでない人もいますが、Tさんはストレスが身体に負担を与えているんですね・・・。
私はデフファミリーでしたが、聞こえる兄がいたため、受け入れるまで時間かかりました・・!

日常生活において工夫していることは何ですか?

こちらから質問をしたくて話しかける際には、「聴覚障害があることを事前に伝える」ことですね。

スマホに「聴覚障害があります」というカードを入れておいて、お店とかで質問をするときに、 そのカードを見せてから質問するようにしています。

聴覚障害は、外見では分からない事が多いです。

私の場合は語音明瞭度が低く高確率で聞き返してしまうので、聴覚障害があるという事を伏せたままだとお互いにとってデメリットの面が大きくなってしまうと感じています。

スノマナ

なるほど・・!事前に準備しておけば、 いざという時サッと出せていいですね。
中学・高校時代に苦い思い出を経験したからこそ、繰り返さないようにセルフアドボカシーをしているのはいいと思います!

最後に、キコニワの読者へメッセージをお願いします!

最後までお読みいただきありがとうございます。

この記事を読んで、高音急墜型という聞こえ方の人がいること、進行性難聴についてこういったパターンもあるという事を知っていただき、 私の体験が難聴者・ろう者・聴覚障害児の親御さん、そして聞こえにくさを感じている人が「私はこうしよう」という判断の一助・参考となれば幸いです。

今振り返ると、補聴器店の人から言われた「君の耳では着けても意味はない」という言葉の意味を勘違いしてしまったために、 アクションを取ることなく回り道をし過ぎたと感じています。せめて、「今のところは」を付け加えていただくだけでも受け止め方は大分変わってくるのでは…と思います。専門家とのコミュニケーションで「お互いの認識にズレがないか」を大切にしてほしいなと思います。

最後に、いつも相談にのっていただいた言語聴覚士の「いしだあや」さん、難聴者の居場所作りに尽力し、その言語聴覚士の存在を知るきっかけを作ってくれたNさん、それっておかしいよと補聴器の調整を疑った友人のHさん、私の経験を記事にまとめていただいたライターのスノマナさんには深く感謝いたします。

楽天市場およびAmazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。

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この記事を書いた人

初めまして!
スノマナと申します。
1997年千葉県生まれ、ろう者、デザイナー4年目。
デフファミリー3人家族。ろう者視線の育児漫画をSNSに投稿しています。
趣味は、美味しいものを食べる&作る、絵を描くこと。この2点はずっとブレてません。
最近は、ものを増やさないミニマリストを目指してます。

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