聴者との「相互理解」を諦めないための処方箋

挨拶

体調不良であまり長文を書ける状態ではなかったり転職活動などをしていたりしていたら、なんと1年ぶりの更新となりました。この1年もいろいろと激動の年でありましたが、皆様お元気でしょうか。自分は何とか再就職しましたが、いろいろと社会の荒波にもまれております。

今回は1年前のコラムに書いた「相互理解のための方法」ということを、具体的に考えてみたいと思います。

「察してほしい」から脱却するテクニック

前回のコラムでは、聴覚障害者が抱きがちな「聴者は理解してくれない」という不満の背景には「障害のグラデーションがもたらす誤解」があることをお話ししました。

こうした無理解にぶつかったとき、私たちはつい「どうして察してくれないのか」と相手を責めたくなります。しかし、厳しい現実として、世の中の大半の人は聴覚障害について察するだけの余裕も知識も持ち合わせていません。それは別に悪意ではなく、単に「知らない」という事実でしかありません。しかし、その事実に対して私たちは聴者に不信感を抱いてしまいます。

この悪循環を脱却するために必要なのは、聞こえる相手を冷淡な人ではなく、「どう接していいか分からず困惑している人」と再定義することです。

相手が困惑しているのなら、こちらがすべきことは「困っていることを具体的に伝えること」です。具体的にどの場面でどう困っているのか、をできるだけ詳細に伝えることです。

しかし、面と向かって説明するのは私たちにとってもハードルが高いものです。そこで現代ならではのテクニックとして、チャットやメール、メモといった文字情報を徹底的に活用するべきでしょう。

もし、自分の状況をどう言葉にしていいか分からないとか、日本語の文章を書くことに苦手意識があるのなら、AIの力を借りることも考えていいのではないでしょうか。

ChatGPTやGeminiといったAIに「騒がしい場所だと声がノイズに埋もれて聞こえない」「一部は聞こえても全体が把握できない」といった断片的な状況を入力し、「職場の人への配慮のお願いとしてまとめてほしい」と頼んだりすると、的確な文章を書いてくれます。

聴者に伝えるときに、実は完璧な文章である必要はありません。箇条書きでも、AIが作った文章でも構いません。「私はこういう状況で困っています」という姿勢を能動的に見せることが最も大切なのです。

そのことが相手の「どうしていいか分からない」という不安を解消する大きな第一歩となります。

そして、相手が少しでも歩み寄ってくれたなら、それを当たり前と思わずに素直に感謝を伝えましょう。この循環こそが、相互理解を動かす強力なエンジンになります。

支援は「スタートライン」に立つための権利

しかし、「伝えること」が大切だとは分かっていても、どうしても「申し訳ない」という気持ちが先行してしまう人も多いでしょう。

かつての私もそうだったので、何度も聞き返したり筆談をお願いしたりすることに羞恥心や後ろめたさを感じるのはよく分かります。

私は187cmで120kgを超えるという体格ですが、いつも聞こえないことに怯えていました。そのギャップに周りの人が戸惑うこともあったようです。

しかし、ここで一度冷静に考えてみてほしいのですが、この世界や社会はオフィスの設計、病院の受付など、そのほとんどは「耳が聞こえる人」を前提に作られています。私たちは、その枠組みに「聞こえない」という特性を持って後から参加している存在なのです。

私たちが求める配慮や支援は、他の人より有利になろうとする「優遇」ではありません。聞こえる世界で聴者が当たり前に立っている「スタートライン」まで引き上げてもらうための調整に過ぎません。

ですから、「申し訳ない」と思う必要はなく、私たちが声を上げなければ、聴者は「今のままで問題なく伝わっている」と誤解し続けてしまいます。

これを覆すことは辛いし、勇気がいることですが、「伝えること」は私たちがこの社会で共に生きるためにどうしても必要になる行為なのです。

テクノロジーが「見えない壁」を可視化する

現代の私たちには、10年前、20年前の先輩たちにはなかった強力な武器があります。電子メモや文字起こしといったテクノロジーです。

文字起こしアプリを日常的に使うことは、情報の欠落を補うだけでなく、聴者に対して「私の世界がいかに不完全か」を視覚的に提示する手段になります。

私の経験ですが、以前、職場の会議で文字起こしアプリを使っていた際、スマホをずっと見ていました。その時「くらげさんは聞こえているように見えるけど、全部聞こえているわけではないことが、スマホをずっと見ているのを通して分かった」と言われたことがあります。また、完璧に文字起こしできない中、必死に内容を理解しようとしていることも、文字起こしの誤字脱字を通して分かってくれたようでした。

「聞こえなくて大変だ」と言っても「大変なんだろうな」という抽象的な想像しかできないこともあります。しかし、スマートフォンの画面に並ぶ誤字脱字交じりの文字列を見た瞬間に、私の抱えている困難が「可視化」されたのですね。

テクノロジーを使うことは、単なる補助ではなく、聴者の想像力を補うための「共通言語」にもなり得るのです。

もちろん、アプリは万能ではありません。しかし、その「不完全さ」すらも、対話のきっかけになることもあるのです。

次世代に「情報のバリアフリー」を繋ぐために

聴覚障害とは、単に音が聞こえないことではなく、社会との間に生じる「情報伝達の障害」であると私は考えています。

だからこそ、私たちは伝える工夫を重ね続けなければいけません。本当ならば、こちらが何も言わずとも周囲が自然に対応してくれる世界が理想かもしれません。しかし、現実はまだそこまで追いついていません。

以前、ある職場で「くらげさんが入ってきたことで、障害を持つ人が何を考え、何に困っているのか、初めて実感として理解できた」と言われたことがあります。

これは私という個人の一例に過ぎませんが、「伝え続けた」結果として、その会社において「障害者の受け入れ」という一つの成功体験を残すことができたのだと思います。

聴者との間に橋を架けることとは、私たちが今、勇気を出して自分の「困りごと」を言語化し、テクノロジーを使って乗り越えるといった、自分たちの実践のことなのだと思います。

その一つ一つの小さな成功例が、後に続く後輩たちがもっと楽に、もっと自然に社会に溶け込める環境を作っていくはずです。

「今を生きる」私たちが、対話を諦めずに、少しずつこの世界を書き換えていく。その積み重ねの先に、本当の意味での「相互理解」が待っているのだと信じています。

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この記事を書いた人

・くらげ
・聴覚障害者
・ADHD当事者(40歳)。
進行性難聴で中学2年でろう学校に転校し、以降ろう社会に生きる。
23歳で人工内耳の手術を受けて聴力が戻るがアイデンティティのゆらぎに悩んだりしている。著書に「ボクの彼女は発達障害」がある。

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