勇気を出して、違う世界へ飛び込んでみたら、視野が広がった(前編)

みなさん、初めまして!
Bridge Heartの池田優里です。

私は生まれつき耳が聞こえず、両耳に人工内耳を装用しています。
最初はろう学校の幼稚部に通っていましたが、年中から地域の幼稚園に通い始め、その後、地域の小学校、中学校、高校、大学へ進学してきました。
今、社会人4年目として一般企業に勤めています。
そして、個人活動として、聴覚障害児の親向けのプラットフォーム「Bridge Heart」を立ち上げようと動いています。

今回は、なぜBridge Heartを立ち上げようと思ったのか、私の原体験から、みなさんにお伝えしたく、執筆させていただくことになりました。


目次

聴覚障害があることを隠していた学生時代

私は、先天性高度感音性難聴で生まれ、1歳11ヶ月に右耳に、12歳の時に左耳に人工内耳を装用しました。

当時は、走るのが大好きで、とにかく動き回る活発な女の子でした。
しかし、小学4年生の時に、自分の障害を意識するようになってから、急に大人しくなり始めました。

友達との会話で内容がわからず、聞き返しても、嫌な顔をされたり、場の雰囲気が悪くなったりすることが増え、
「場の雰囲気を壊したくない」という一心で、会話の内容がわからなくても聞こえたふりをするようになりました。(ここから、聞こえたふりをするという悪い癖がついてしまいました。)

そして、他の聞こえる友達と同じように対応してほしいという思いで、人工内耳を髪で隠すようになりました。
次第に、「自分は他の聞こえる友達と同じように聞こえている」という変なプライドが生まれ、中学時代まで持ち続けていました。



中学時代の私

人間関係がギクシャクした

「自分は周りの人と同じように聞こえている」という変なプライドを持ちながら、友達との会話で聞こえたふりをすることが多くなったある日のこと。掃除の時間に、周りががやがやしている中、友達から、「ゆうりちゃん、ここのゴミ拾ってね」と言われました。しかし、私は、友達が何かを言っていることはわかったものの、何をお願いされたのかが聞き取れず、つい悪い癖で、「うん!わかった〜」と返事してしまいました。

ゴミを回収せず、何事もなかったように片付けた私に対して、友達は不信感を抱くようになり、次の日から、私を無視するようになりました。私は、なぜ友達に嫌われているのか気づかず、精神的にもきつくなり、一時不登校になった時期もありました。

同世代の難聴の友達の存在

「聴覚障害のある自分」に嫌気がさしていた頃、地元で、全国の聴覚障害児の親が集まる勉強会がありました。親に連れて行かれた会場で、同世代の難聴の友達と出会いました。

その友達は、聴覚障害がある自分を受け入れて、聞こえない時は「聞こえない」とはっきりと聞き返していたり、相手も嫌な顔をせずに話していたりお互い楽しそうに話していました。私は、その姿を見た時、「聴覚障害のある自分でもいいんだ」と、自分の障害を受け入れるようになりました。

今思うと、この時期に難聴の友達とつながれたのは、ものすごく大きかったなと思いました。

自分の障害を受け入れるようになってから、聞き取れなかったら、聞き返したり、どうしても聞こえない時は、筆談してもらったりするようになり、心も少し軽くなりました。

続きは、後編へ。

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