キコニワから未来を生きるろう・難聴に送る、
ろう者・難聴者版の職業図鑑。
あなたの目指す働き方のヒントに。
さまざまな職種のろう、難聴者にインタビューを行い
職業紹介の記事を連載します。
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デフ水泳コーチ(会社員)
藤川 彩夏さん
‐ 長野県出身
きこえについて
生まれつき耳が聞こえない。
ろう学校幼稚部・地域の保育園の双方に通い、小・中・高はろう学校に、大学は県外の体育大学へ進学。
普段は補聴器を装用し、手話・音声日本語の両方を活用して生活する。
基本情報
デフ水泳コーチ(会社員)
普段は一般企業の会社員として働く。 主な業務としては、営業職へのサポート・販売分析のサポート等のスタッフ職として7年目となる。
デフ水泳コーチとしての具体的な業務は、大会等で選手と帯同し、選手のタイム記録や分析、スタートランプの設置準備を行う。また、合宿や大会の計画と活動報告書の作成。水泳コーチの資格を取得してからは指導メニューの考案、指導を行う。
1日の流れ
平日は一般企業に勤めているため、帰宅後の時間を活用して会議や合宿、大会の準備をしています!
デフ水泳コーチになるには
一般的なケース
水泳コーチは泳ぎを教えるだけでなく、水泳を通じて健康促進や競技力向上をサポートする専門職。
コーチになるには、一定の泳力を持ち、水泳指導に関する資格(例:日本水泳連盟公認指導者資格)を取得することが一般的。スイミングスクールやクラブでアシスタントから経験を積み、選手や初心者に適切な指導ができるようになることが求められる。また、技術指導だけでなく、安全管理やメンタルサポート能力も重要な要素でもある。
藤川さんの場合
元選手であり、水泳は4歳から始める。
一般社団法人日本デフ水泳協会を知ったのは小学6年生で、デフリンピックを中学1年生で知る。
夏季デフリンピックの出場は計3回。(2009年台湾、2013年ブルガリア、2017年トルコ)
トルコのサムスンデフリンピックを最後に引退した。その後、日本デフ水泳協会より声がかかり、 最初はスタッフとして活動をして経験を積み、デフ水泳コーチに転向。「水泳コーチ」「競泳競技役員」「基礎水泳指導員」等の資格を取得。
何事にも挑戦するのが好きな性格なので、引退後もコーチとして新たなキャリアを積む形でデフ水泳に関わることを決めました!
夢はデフ水泳の日本代表の監督になることです。
求められるスキル、必要な知識
① リーダーシップ
選手をまとめ、目標に向かって牽引していく力。選手のモチベーションにも着目し、信頼関係を築きあげることが重要。
② コミュニケーション力
選手との信頼関係を築くためにもコミュニケーション力は必要不可欠。
③ 指導力
選手育成のためには、タイムの良し悪しだけではなくマナーやスポーツマンシップも大切であることを指導していく。
こんな人が向いている!
❏ 柔軟な発想力のある人
合宿等で決まった練習メニューをこなすだけではなく、選手同士のチームワーク形成のために、一人ひとりの体験談を共有する時間を設けるなど、工夫を取り入れることで多角的な視点を持ち、目標達成に向けた良いアプローチを常に考えられる人が求められる。
❏ スポーツ経験者でその分野の知識がある人
スポーツ施設に関する知識も重要となるため、競技に限らず、練習環境や大会運営、規程、さらにはアンチドーピングに関する知識まで、幅広く関心を持って学べる人が求められる。
大会運営のルールや競技規則の変更は練習にも影響を与えるため、その動向を追い続けることが重要です!
スキルアップのためにしていること
❏ 人脈づくりと情報交換
デフスポーツ全般に共通することかもしれませんが、競技は違えどもメダル獲得という1つの目標があります。
そのためには練習環境を整えたり、多くの企業にスポンサーとして支援していただくことが必要です。
その際、自分の競技団体だけに注力するのではなく、デフスポーツ全体を盛り上げることが大切だと考えています。
こうした取り組みを実現するために、積極的に人脈を広げ、情報交換を行っています。
❏ 自己啓発
水泳関連の資格(例:水泳指導員、審判員など)の取得や、日本水泳連盟や日本パラリンピック委員会主催の研修会への参加を通じて、知識を深めています。
また、勤務先の会社で提供されるマーケティング分野の分析に関するeラーニングで得た知識が、水泳にも活きており、一見無関係に思える分野でのスキル向上が意外な形で役立つことを実感しています。
最近ではスポーツ栄養学の資格を取得しました!
選手の食生活をチェックする機会が増え、特に脂っこいものを好む選手に脂質を過剰に摂取することの影響について説明できるようになりました。
教えて!センパイの経験談
この仕事を始めたきっかけ
体育の先生という夢から
――デフ水泳コーチを始めたきっかけを教えてください。
かつては体育の先生を目指していましたが、最終的にその夢を諦め、一般企業に就職しました。
しかし、ろう児や難聴児に自分の経験を活かして指導したいという夢は諦めきれずにいたので、水泳選手を引退した後は仕事と両立しながらできる、コーチという形でデフ水泳に携わることを選びました。
体力づくりのために始めた水泳
――水泳選手としてもご活躍されていたようですが、水泳を始めたきっかけは?
4歳で始めたので、親からの話になりますが…(笑)
喘息持ちで体が弱かったので、体力をつけるために水泳を習わせたそうです。また、水遊びが好きだったことと、幼馴染が泳いでいるのを見て自分も早く泳げるようになりたいと思っていたそうです。
楽しい瞬間
選手からの何気ないコメント
――コーチで楽しいと思う瞬間はありますか。
選手から「藤川コーチの考案した練習メニューが分かりやすい、指導が的確なのでモチベーションが上がる!」という言葉をいただいたときは嬉しかったですね。
悩んだこと、悩んでいること
最初は不安でいっぱい
――デフ水泳コーチとしての悩みはありましたか。
選手を引退した後、デフ水泳協会のスタッフやコーチに転向する人は少ないことと、デフスポーツでデフスタッフとコーチとして活躍されている方が少ないため、私も最初は不慣れで大きな不安を感じていました。
そんな中、デフテニスの松下さんが選手引退後に監督(強化部長)に転向し、ご活躍されている姿を見て、自分もデフ水泳の発展のために頑張ろうという気持ちになりました。
松下さんは私に大きな刺激を与えてくれた存在であり、尊敬する人物でもあります。
デフスポーツをもっと盛り上げたい
――現在の活動での悩みはありますか。
資金面での悩みが大きいですね。
デフ水泳だけでなく、デフスポーツ全般に共通する課題だと思います。強化合宿など、選手の育成に必要な資金が十分ではない中で、工夫を凝らして運営しているのが現状です。
もし活動資金が潤沢であれば、もっと多くのことに取り組めるのに、と感じています。
デフリンピックの知名度向上が鍵になるのではないかと考えています。
きこえる人との協働の仕方
お互いが分かる方法で
――きこえる人と働くために、どういった工夫をされていますか?
仕事では、会議ときに字幕機能を活用し、後から確認できるように議事録もしくはメモを作成するなどの配慮をお願いしています。
また、電話リレーサービスを活用していますが、まだ浸透しておらず、迷惑電話だと勘違いされて一方的に切られる場面がたまにあります。その場合、聴者のスタッフに説明して代わりに電話をかけていただいています。
水泳では補聴器を外すので、メニューの説明やタイムを伝えるときは手話や指文字で表現します。
デフ水泳のスタッフには手話の分からない聴者もいるため、議事録(メモ)を作成して共有したり、LINEのグループで情報共有を行う等の工夫をしています。
そして、デフスポーツ界ではスポーツに精通した手話通訳スタッフが非常に少ないです。そのため手話通訳派遣を外部に依頼していますが、競技ルールや専門用語を交えた説明の際、内容のズレが生じることがあります。対策としてデフ水泳の特徴を前にもって伝えることもあります。
学生時代の印象的な出来事
負けず嫌いな性格
――13歳の頃の性格や印象に残っているできごとはありますか?
努力家で、とにかく負けず嫌いでした(笑)
中学2年生で台北デフリンピックに出場し、同じ日本チームの先輩とライバルで、世界大会はいつも私が負けていたんです。それが2011年にポルトガルで開催された世界大会で、100mバタフライで銀メダルを獲り、ライバルに競り勝ったことがとても嬉しかったことを覚えています。
とにかく負けたくないという気持ちが大きくてまわりも負けず嫌いであることを自他ともに認めていました。
負けず嫌いのエピソード
――かなり負けず嫌いの性格だったんですね。
少し恥ずかしい話ですが、小学生の頃のエピソードです。
大会でタイムがひどい結果だった時、レース直後にコーチが良いアドバイスをしてくれたのにもかかわらず、イライラして無視してしまったことがありました。
当時のコーチからは、「藤川さんは本当に負けず嫌いだったね」とよく言われたものです(笑)
当時通っていたスイミングスクールの先輩後輩にも言われたので、相当負けず嫌いだったようです。
大会時の配慮
――小学生から一般の大会に出場されたそうですが、配慮はあったのでしょうか。
私のコーチが大会の競技役員も務めていたため、私が耳が聞こえないことや、スタート合図を目で確認できるような配慮の仕方を大会関係者に説明していたようです。
通常、スタートのピストルは上にあげますが、私が出場する際は、斜め下に向けるように配慮をしていただきました。
また、失格の時もその場で教えてほしいと伝えていたため、審判の人が近くまで来て、口パクで教えていただくようにしていました。
ろう学校の生徒では出場できない…
――配慮があったからこそ安心して大会に出られたんですね。
はい。しかし納得できないこともありました。中体連に関するエピソードがあります。
中学生の時、私が通っていたろう学校は県の中体連に加盟していなかったため、中体連の水泳大会に出場する資格がないと言われました。
納得できず交渉した結果、地元の中学校の籍を取り、授業には出ず部活だけに通っている生徒として出場する権利が認められました。その方法には少し違和感を感じましたが、当時は仕方なくその方法で大会に出場しました。
高校もろう学校に通いましたが、中体連と同じ方法は嫌だったので、先生に高体連と交渉していただきました。そのおかげで、ろう学校の生徒として高校の大会にも出場することができました。
最近はほとんど、中体連・高体連にろう学校での出場が認められつつあると聞いていますが 認めれていない場合、全国ろう学校PTA連合会やデフスポーツ競技団体に相談してみるといいかもしれません!
学生時代にしておくべきこと
今を楽しもう!
――藤川さんが思う、学生時代にしておくべきことは何でしょうか。
2つあります。
・友達をたくさん作ること
小・中学生の頃、私は聴者との関わりに苦手意識を持ち、距離を置いていました。しかし、社会人になったある日、SNSで大学時代の同期からメッセージが届きました。その内容は、子どもが障害があるため、デフ子ども水泳教室に通わせても良いのかどうか悩んでいるという相談でした。自分と繋がりがあった人と、こうして再び繋がることがあるのだと実感しました。
この経験から、障害の有無にかかわらず、友達はたくさん作っておいた方がいいなと感じました。
・いろいろな社会体験を積むこと
ずっと水泳一筋で、水泳以外の社会経験が乏しかったです。そのため、大学時代は社会に出る前に水泳以外の活動もしたいと思い、手話サークルに通い始めました。ろう者や聴者との交流はもちろん、イベントで手話を知らない聴者とのコミュニケーション方法を学ぶ貴重な機会となりました。
ボランティアや地域活動など、どんなことでも挑戦することで、社会との繋がり方を学べる良い経験になると思います。
さいごに…
座右の銘
日ごろから心に留めている言葉を聞くことで
その人となりや、その人の歩んできた道が
垣間見えると思い、聞いてみました!
――最後に座右の銘を聞かせてください!
「夢を諦めない」です。
――その言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか?
その時の状況に合わせて夢を作り、それに向かって取り組むことの楽しさを知りました。
夢は大きくて、叶わないものという認識をされる方が多いように思うのですが、小さな夢にすることで、それに向かって楽しみながら取り組むことで、豊かな経験ができました。だからこそ水泳も続けられたように思います。
特に中学生が成長過程において大事な時期でもあると思います。
自分のやりたいことを探す時期であり、進路を考え始める時期でもある。その大切な時期に夢を諦めてしまう人を見たことがあり、心を痛めました。
夢は2種類あると思っていて、大きな夢と小さな夢。
小さな夢をまずは作って、状況に合わせて夢を変えていく。そういう方法もあることを伝えたいです。
水泳コーチになりたいあなたへ
中学生の時、自分は初めて夢ができました。夢を追うことは本当に楽しいです。
小さな夢ができてから、大きな夢を叶えるまでには
「自分の努力」と「自分の可能性を信じること」が大切です。
それをコツコツと積み重ねていくことで、どんな夢でも叶えられると思います!
ご覧いただいている あなた が頑張ってご活躍されていることを応援しています!!