難聴のある学生、公立中学校と高校はこう過ごしていました~高校編~

 こんにちは!つりざおです。前回、私の中学生活についてまとめた記事を投稿しました。今回はその続きとして、高校生活を振り返って記事にしました。人生初の周囲に難聴の子がいない環境でしたが、たくさんの良い友人を見つけることができました。どのようにして高校生活を過ごしていたのか、ぜひご一読ください!

目次

高校の環境

 中学卒業後は無事第一志望校に合格し、県立高校の普通学級に所属することになりました。私の通っていた高校は、全員が大学進学を前提としている学校で、国公立大学への現役での進学者が非常に多い学校でした。私にとって初めて、周囲に難聴者が一人もいない環境へと変化しました。高校でも中学校と同様に、母校の聾学校へ学期に1度通級していました。

 不安を抱えながら入学した高校ですが、周りの子たちも非常に優しく、良き友達にも出会い、今でも定期的に会う仲の子もたくさんいます!

高校2年生の時、学校主催でオーストラリアへ語学研修に行った時の写真です!ホームステイを経験し、とても楽しかったです。

授業での配慮内容

 私が高校でお願いした配慮は以下の通りです。

  • ①入学時に同級生全員の前で自己紹介をする
  • ②授業時にFMマイクを装用してもらう
  • ③座席を2列目か3列目に配置してもらう
  • ④リスニング試験は別室で、スピーカーを目の前に置いて行う

 まず高校に入学したその日、私は学年集会で同級生280人の前に立って自分の障害についてお話ししました。これは私が事前に希望したことで、一度学年全員の前で話しておくことで、後々説明する手間が省けることと、誤解を持たれないようにと思いお願いしました。今振り返ると、拙い説明だったとは思いますが、「私は生まれつき耳が聞こえにくく、呼びかけられても反応しにくいことがあります。呼ぶときは肩をたたいてほしいです。」とお話ししたことを覚えています。後々仲良くなった友達に、卒業後でさえ「あの時のことを覚えているよ!」と言われるので、同級生からするとかなり印象に残ったんだなあ…。と思います。当時はとても勇気のいることでしたが、今振り返ると間違いなくやって良かったと思っています。仲のいい人に限らず、クラスが違う程度の人でも「あの子は聞こえにくい子なんだ」と認知してもらえたため、変に誤解を持たれずに過ごすことができました。

 その他の配慮については、基本的に中学校と同じでした。座席の配置についてですが、1列目を指定しなかった理由として「周囲の状況が見にくい」からです。音声情報だけでは理解できなかった場合、周囲の子の行動を見て理解することが多々あるため、先生から近いかつ周りの子が見えやすい2列目か3列目をお願いしていました。とはいえ、一度くらいは後ろの席に座ってみたいな…。と思ったこともあります。(笑)

 また、FMマイクについては先生によっては取り扱い方がかなり違いました。FMマイクを教卓の前に置き、授業が始まる前に先生に電源を入れて装用してもらい、最後に電源を切って教卓の前に置いてもらうというルーティンでした。しかし中には電源を入れ忘れたまま授業を始めたり、たまに忘れてつけたまま帰るという先生もいらっしゃいました。当時使用していたFMマイクは電源が小さくて分かりにくかったことと、電源が入っていても実際の音声に変化はない(マイクのように音が大きくなるわけではなく、無線で音を拾っているため)ため気付かれにくかったと思います。当時はなかなか授業を遮って「電源入れてください!」とは言い出せませんでした。今なら、電源をつけっぱなしで先生に装着してもらうのが一番確実だったと思いますね。

生徒会にも所属していました。夢見ていたキラキラした仕事ではなく、裏方であくせく働くといういい思い出になりました(笑)

大学入試での配慮内容

 大学入試での配慮内容は、以下の通りでした。

  • ①英語のリスニングは別室で受験する
  • ②監督の指示が聞き取りやすいように前方の座席に配置してもらう

 特に大学受験は、会場が大きいこともあるため緊急の連絡がすぐに理解できるように、一番前の座席にしてもらっていました。私立大学を主に志願していたため、受験する学校に逐一事前に連絡することがとても大変だったことを覚えています。各大学によって申請書が設定されており、資料を準備したり、郵送の手配も全て自分で行いました。

良かったこと/困ったこと

 最後に、周囲に難聴の子がいなかった高校生活を振り返って良かったことと困ったことをお話しします。良かったことは、通級の先生が毎年高校の先生向けに説明会を開いてくださっていたことです。基本的には年次団の先生に向けて、聴覚障害について詳しく説明をしたり、FMマイクについて説明をしてくださっていました。どうしても私からの目線だと伝わりきらないことも、プロである先生が説明してくださったことでスムーズに先生方に支援を申し出ることができました。後に、先生方も「あの話をしてくれたおかげで、よくわかった」とおっしゃっていたため、改めてありがたい存在でした。

 困ったことは、今振り返ると思いつかないくらいでした。高校では先生方や友人にも恵まれ、今でも仲良くしてくれる友達がたくさんいます。小中学校を共に過ごした環境を離れる時は不安でいっぱいでしたが、今では高校の友人たちの方が付き合いが多いくらいです。

まとめ

 今回は中学校生活と高校生活についての記事をまとめました!実はこの後、大学生活で私は人生で初めて難聴という大きな壁を実感することになりました。その話は後々記事にまとめたいと思います。裏を返せば、ここまで「難聴」を意識することがなかったことは一重に周囲の環境の協力のおかげだと書いていて実感しました。環境が整っていれば、障害もなくなるのだなぁと、「障害の社会モデル」を身をもって感じました。

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この記事を書いた人

兵庫県の片田舎出身。
先天性の感音性難聴で両耳とも100dBを超えています。
2歳の時に左耳に人工内耳を装用。
大学卒業後、日系メーカーで勤務中。
目標は、世界中のユニバとディズニーを訪れることです。

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