中途難聴からのメニエール手記④ +様々奮闘記

(タイトル)中途難聴からのメニエール手記④+様々奮闘記 (サブタイトル)“「あなた、よく頑張ったわねえ」” “いろんな気持ちが洪水のように後から後から押し寄せてきた”

こんにちは、ピノです!

前回までのあらすじは以下になります。

ご興味がございましたら、お読みいただけると嬉しいです(^^♪


この頃の私は、聞こえずらさ(難聴)は多少あったものの、今ほどは感じず主に耳鳴りと、

常に耳の中に水が入ったままのような耳閉感に苦しんでいました。

完全母乳育児へのこだわりから相変わらずアデホスコーワ(ビタミン剤)の服薬のみ、という状況でしたが、「まだ若いし(30代前半)、育児が落ち着いたらいずれ治るだろう」との楽観的な思いはありましたが、起きている間は勿論、眠りにつく前も、夜中に何度も訪れる授乳やおむつ替え、夜泣きで起こされる間も耳鳴りは止むことがありませんでした。強弱の差はあるものの、その音は常に続き、不安で不快でした。

手記③の終わりに書いたように、女医さんに懲り懲りしていた私でしたが、たまたま最寄り駅のすぐ近くに女医さんが長年開院されている耳鼻咽喉科“Tクリニック”という医院があることを知り、意を決して長男をベビーカーに乗せて行ってみました。

先ず、受付の方がとても優しく対応してくださり、更にちょうどベビーカーの中でスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている長男を見て、「診察室にベビーカーのまま入っていいですよ」と言っていただき、とても安堵したことを覚えています。

いよいよ私の診察の番になり、期待と不安で緊張しながらベビーカーと共に診察室に入りました。

第一印象は、柔和なお顔の──当時50代くらいでしょうか。「良かった、お優しそう….」と感じました。

Tクリニックの女医さん(以下、T先生とお呼びします)は、ベビーカーの長男を見つけるなり少し高めの声で「あら~気持ちよさそうに眠ってるわね~」とニコニコして言ってくださいました。その言葉で私の緊張は一気に解け、何やら目元がジワッとなったことを覚えています。

長男が眠ったままのベビーカーを診察室の隅に置かせていただき、T先生の問診が始まりました。

私は今でもそうなのですが、お医者様に自分の経緯や現状を伝えることがとても苦手で、下手です。

簡単ではありますが、メモを携え、なるべく時系列で話すよう意識しているのですが、ごちゃごちゃになることもしばしば…。そのため焦ってしまい、更に伝わりにくくなる….そんな悪循環、いわば負のループにはまりがちです。

そんな私の分かりにくいであろう病状説明を、T先生は遮ったり途中で打ち切ったりすることなく、ただただ私の目を見つめ、静かにうんうんと頷きながら聞いてくださいました。

なんとか話し終わったとき、T先生の開口一番の言葉は──

「あなた、よく頑張ったわねえ」

その瞬間、涙腺が崩壊しました。

恥ずかしさと、理解してもらえた嬉しさ、長男に対する申し訳ないような切なさ…いろんな気持ちが洪水のように後から後から押し寄せてきたことを昨日のことのように覚えています。

T先生には、

「耳鳴りは無くならないから慣れるしかない」

「突発性難聴を発症してから三ヶ月以上経っているため、完治は非常に難しい」

(聴覚検査をしたら、発症した右耳が軽度難聴になっていました)

「このまま完全母乳を貫くならアデホスコーワのみの服薬にするが、出来れば毎週、無理なら隔週で通院してみて」

と言われました。

私は「毎週は多分無理なので、隔週で通院します」と答え、次回の予約をしてTクリニックを出ました。

年甲斐もなく大泣きしたせいで、目元は赤くて腫れぼったく、ヒリヒリとしていました。明らかに泣いた後の顔で公道を歩くのは恥ずかしさもありましたが、それよりも何よりも何か憑きものが落ちたような爽快感がありました。

右耳の耳鳴りは相変わらずジージーと鳴っており、水も入った(ような)ままで、右耳の軽度難聴は治る見込みはないこと…はやはりショックではありました。けれど、少なくともTクリニックに向かっている時の気持ちよりは、心が軽くなっていました。

ベビーカーの長男はいつの間にか目を覚ましていたものの、こちらもたっぷり寝たからなのか、珍しく寝起きがご機嫌だったので、ずっと行ってみたかったアジアン雑貨屋さんに寄り道をして、タイ製のダークブラウンの木目が美しい手彫りのプレート二枚、朱色、白磁色、藍染めの藍色、そして真ん中にほんの少し添えられた柔らかな緑。その色合わせが絶妙な、素敵な布製のパッチワークコースター三枚、それらとセットで使えそうな同じ色合いの、鍋敷きより少し小さめな敷物一枚を購入して帰路につきました。

20年経過した今でも、来客や家族のイベント、お正月などで活躍してくれています。

その度に、T先生と、帰路の爽快感、(今ではすっかり悪くなってしまいましたが)在りし日の両耳を思い出し、懐かしさと切ない気持ちになります。

そんな私の日々でしたが──また、新たな難題が降りかかってきました。

続く……
次回掲載日は12/17(水)になります。

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(タイトル)中途難聴からのメニエール手記④+様々奮闘記 (サブタイトル)“「あなた、よく頑張ったわねえ」” “いろんな気持ちが洪水のように後から後から押し寄せてきた”

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この記事を書いた人

両耳中途難聴、両耳メニエール病、きのこの山をこよなく愛する(が、血糖値高めのためなるべく我慢している)アラフィフ3児(内双子)の母です。
好きなものは漫画、時代劇(人情系)、ファッションです。
メニエール病治療のため水泳をしています。
難聴者、メニエール病を抱えてる方々が前向きになれる繋がり方を模索していきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします!

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