挨拶
ついこの前まで2024年の夏だった気がするんですがいつのまにか2025年も始まってはや1ヶ月が過ぎ去っていました。本当に自分の周りの時間の流れがおかしいように思いますが、皆様の周りの時間は正常に進んでおりますか?
さて、今回は前回のコラムからずいぶん時間が経ってしまいましたが、改めて「聴覚障害の理解」というテーマについて考えてみたいと思います。
我々はなぜ「聴覚障害」を理解して欲しいのか
我々はよく聴者に対して「理解して欲しい」という言葉を使います。しかし、その「理解して欲しい」という裏側にある意味を整理することは意外と少ないのではないでしょうか。
私たちが聴覚障害を理解して欲しいというとき、それには様々な意味があります。まず思いつくのは「聞こえないことで困ることが発生するのでサポートして欲しい」という思いがあります。仕事の上で口頭で話されてもわからないとか、病院で名前を呼ばれてもわからないといった「困りごと」が発生するからです。これは緊急かつ解決されなければ自分にとって不利益が発生することなので「このような困りごとが発生するからそのことを知って対応してほしい」というお願いに近いものです。
しかし、「仕事や生活の上で不利益が発生するから」という理由だけで「聴覚障害を理解して欲しい」というわけでもないでしょう。「対等な人間として見てもらえない」「社会から排除されている」といった「人間として認められない」という不満や寂しさを感じたとき「自分のことをもっと理解して欲しい」と感じるはずです。こちらは直接的なお願いというよりももっと広い範囲を含んでいる「人間として認められたい」という欲求に近いものだと思います。

簡単にまとめてしまえば「今発生している問題を解決したい」ということと「人間の心の働きとして生まれる不満や寂しさを解消したい」ということに大別できるのではないかと私は考えています。
自分の中である程度整理すること
なぜこの2つを整理することが必要なのでしょうか?それは「今起きていること」に対して「理解してもらいたい内容」を適切に伝えなければ混乱が発生するからです。例えば「仕事で口頭で連絡されたことをうまく理解できずそれが原因で仕事でミスをして怒られた」というケースを考えてみましょう。
普段から「聞こえないからメモなどで連絡をして欲しい」と言ってもなぜか口頭で連絡をされることは多くの聴覚障害者が経験していることではないでしょうか。このような時は「聴覚障害を理解してもらえない」と強く感じてしまいます。そしてこのような経験をすると「仕事の上で困る」ということと「職場に居場所を感じない・自分は大切にされていない」と2つの面でモヤモヤしてしまうことが多いと思います。そして、誰かに話す機会があると「周りは聴覚障害を理解してくれない」と愚痴ったりするわけです。
しかし、なぜ職場の人は口頭で仕事の連絡をしてくるのでしょうか。忙しいからかもしれないし、聴覚障害があってもある程度は聞こえているだろうと思ってるかもしれない。ただ単純に何も考えていないだけかもしれない。しかし、積極的に「聴覚障害者を排除しよう」とか「悪意を持って接している」ということは経験的に少ないと感じます。
そこで「口頭で伝えないでほしい」というときに職場に改めて対応についてお願いすることが多いと思いますが、そういう時は基本的に「自分が困っていて不利益を被っている」ということをメインに伝えるでしょう。(これは合理的配慮の考え方でもあります)
しかし、時にはそれを通り越して「あなたは私を人間として見ていない」とか「これは職場から自分を排除しようとしている」という気持ちを先に話してしまうこともあるかもしれません。ですが、職場では「仕事がスムーズにできるかどうか」が最も大事になることです。まずは「今起きている問題をどうやって解決するか」ということへの対応を優先するべきで「人間的にどう扱われているか」はその後の課題になるかと思います。
人間として認められたいという欲求
一方で友人関係や家族関係というのは何も「利益だけ」で繋がっているわけではありません。そこには絆があり情があり愛があったりします。そこでは確かに「聴覚障害で困っていることを解決するテクニック」も必要ではありますが、この場合に聴覚障害者として最も欲しいものは「人間として認められたい・寂しい思いをさせて欲しくない」ということではないでしょうか。
人間関係が重要になる場面でいくら手話が通じても聴覚障害者への対応がうまくても「何か理解されていないな」と感じることはやっぱりあります。そういうときは「相手から対等に見られていない」とか「なんか甘やかされているな」とか人間として成熟していないように思われることが多いように感じています。こういうときは心の問題として理解してほしい、と願うでしょう。そういう不満に対して必要なのは「今発生している問題を解決するだけ」では不十分で、「聴覚障害者としてのみならず『自分』を理解してほしい」となるはずです。そこに愛はあるのかー!という話ですね。
どこをポイントにするか
ちょっと話が飛びましたが、まとめますと「適切なタイミングで適切な『理解してほしいポイント』を伝えるのが大事」ということです。人間として理解してほしいのか、聴覚障害から発生する問題を理解して欲しいのか。まずはそのことを考えてみると「何を伝えるべきか」が少しは明確になるのではないかなと思っています。
このように考えてみると割とシンプルかもしれませんが、問題に含まれてる時は意外と「聴覚障害の問題であるのか」「自分自身の全てを含めた問題であるのか」を切り分けるのが難しくて頭が真っ白になることもよくあることです。
聴覚障害者にとって『聴覚障害と「私」』は切り離せないものですが「私と聴覚障害は一致しているわけではない」ということを意識してみると、「聴覚障害を理解してくれれば私を理解していかなくても良い」ということもあれば「私を理解してくれれば聴覚障害を理解してなくても良い」ということも起きます。
実のところ、聴者の理解力も完全ではないのでどうしても「伝えたことを全て理解する」ことはできません。したがって、どのポイントだけでも理解して欲しいのかということを意識してそこを徹底的につついていくのが「今、自分が感じている不満や問題を解決する糸口」になりやすいのではないでしょうか。

終わりに
今回は「理解してもらう前準備」のような内容になりました。次回から「聴者は聴覚障害者の何がわからないのか」をテーマに考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。