中等度難聴ライターのナツです!
【18歳から、補聴器。】三部作のVol.2です。
\ Vol.1はこちら

前回のVol.1では、大学生になるまで補聴器をつけなかった理由は
【勉強や人間関係で遅れやトラブルが目立たなかったから】
【自分からSOSを出せなかったから】
と書きました。
そのほかVol.1のポイント
- 難聴が疑われた5歳のときのこと
- 補聴器をつけることになった18歳のときのこと
- 学生時代の勉強面のこと
- 勉強に遅れがない=きこえている、ではない
- 本人からアクションがない=本人は困っていない、ではない
「中等度難聴」であることがわかっていながら、
どうして小学校、中学校、高校と補聴器をつけなかったのか。
どうしてそれまでずっと補聴器を勧められなかったのか。
勉強と人間関係の視点から、その理由を探っていきます。
今回は、〈人間関係編〉です!
学校が大好きだった小学生~高校生時代
私は学校が好きでした。勉強も行事も部活動も楽しかった。
勉強だけでなく、人間関係も大きなトラブルなく過ごしたと思います。
というか、難聴でありながら、人と関わることが好きだったのです。
しかし、どんなに学校が好きでも、親しい友人たちといても
人と一緒に過ごし、会話をする以上
難聴であることを意識しない時間はありません。
だから楽しい毎日の中でも何度も、私は難聴なのだと突きつけられます。
きき返すことやきき間違い、話の流れに合わない返事をすることがよくあったので、友人たちにはこう言われていました。
「さっき言ったでしょ!」
「もう、耳遠いんだから~!」
「ほんと天然なんだから!」
何気なく放たれた言葉と、私の受け取り方には
大きなギャップがあったのではないかと思います。
私はその言葉に落ち込みながら、「ごめんごめん」と笑って取り繕うことしかできませんでした。
でも、友人や学校が嫌になってしまうほどのダメージを受けるわけではない。
毎日少し落ち込んでは、回復する。
意を決して難聴のことをまわりに伝えて、理解してもらえるよう努力するかと言えばそこまではできない。
そんな日々でした。
補聴器うんぬんの話になる前に、私自身が難聴としっかり向き合わずに水面下に押し込んでしまっていたのです。
そして18歳、補聴器をつけることになり、大学に通い始めます。
事態は好転したのでしょうか。
補聴器をつけ始めたらどうなった?
……全く好転しませんでした。
大学に着いたら、まずトイレで補聴器をつけ
念入りに耳に髪をかぶせてから講義室に向かいました。
私は、突然手にした補聴器というアイテムを
恥ずかしいもの、隠さねばならないものと捉えてしまったのです。
たくさんの新しい出会いがあり、大学もやっぱり楽しかった。
でも友人たちとのドライブ中に、音楽の冒頭をきいて曲名を当てるイントロクイズや、しりとりが始まると泣きたくなります。
「イントロきこえないから、私が出題者やるよ」
「車内はうるさくてきき取れないから、紙に書いてほしい!」
そんなふうに言って自然体でいられたら、どんなに楽だったでしょう。
急に補聴器をつけ始めても、難聴の受け止め方が急に変わるわけではありませんでした。
それでも、「この人なら話したい」と思える友人たちの存在があったことで、
大学生活も終盤になって少しずつ難聴のことを伝え始めたのです。
長い長い時間がかかりました。
〈人間関係編〉まとめ
難聴をもつ方が、難聴のことで何も悩んでいないし困っていない、ということはほとんどないのではないかと私は思います。
私は、人と一緒に過ごし、会話をする以上、難聴であることを意識しない時間はありません。
けれど、どんなに本人が悩んでいても
それを発信しなければ、「この人は中等度難聴なのだ」とまわりにはわからないものです。
私の場合、難聴を原因とした人間関係のトラブルもなかったし、日々悩んでいるにも関わらずSOSを出すことができなかったので、補聴器の話にさえならなかったのだと思います。
自分が自身の難聴をどう捉えているか、それが重要です。
私は反射的に「難聴は恥ずかしい。補聴器を隠さねば」と捉えてしまったので、
まわりにも伝えられないし、まわりの言動を勝手にネガティブに受け止めていました。
そうでなければ、補聴器をつけていなくてもつけていても関係なく、自然に難聴のことを発信できていたかもしれません。
発信できていれば、まわりは自然に手を差し伸べてくれたかもしれません。
だから、ちゃんと自分から発信しよう!!
——そんな結論を出すつもりはありません。
それがどんなに難しいことか……。私は身をもって知っているつもりです。
次回、【18歳から、補聴器。】最終回です!
18歳から補聴器をつけ始めたことで、大変だったことについて書きますね。
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