孤独からの一歩。“実感の上書き”とは

こんばんは、こゆんです!
今日もキコニワをご覧いただきありがとうございます。

ところで、みなさんは集団の中にいるとき、
ふと「自分だけが取り残されている」と感じたことはないですか?


実は、私はずっとそんな孤独を抱えていました。

けれどある夜、仲間の優しさにふれ、
大泣きしながらようやく気づいたのです。


――「わからなくても、ここにいていいんだ!!」と。

その体験は、私にとってこれまでの孤独を塗り替える
“実感の上書き”となりました。


この記事では、その夜に生まれた小さな一歩をお伝えします。

もしあなたが親や支援者なら、
本人が感じている“孤独の影”に気づく
きっかけになるかもしれません。

そばにいてくれる存在は大きな力になる

ことを、この記事で知っていただけたら嬉しいです!

目次

大泣きの夜に気づいたこと

2024年の夏、私は富士山の8号目の山小屋にて、
3ヶ月ほど仕事をしていました。

今年初の台風が富士山に来た日の夜、
ある飲み会に参加した時の話です。

日頃の疲れと久しぶりのちゃんぽん飲みで泥酔してしまい、
正直、記憶はほとんどありません…

気づけば足元もおぼつかず、
宿泊者用の寝床で介抱されて朝を迎えていました。

ただ、その夜、
あるひとつの出来事だけ鮮明に覚えています。

それが、

わんわん大泣きしていたことです。(笑)

泣いている私のそばで、班の仲間が背中をさすり、
もう一人は静かに見守ってくれていました。


周りの人は

「ここでの生活が大変だったのだろう」

「下界での嫌なことを思い出したのかもしれない」

と心配してくれていたようです。
けれど、泣いた理由は別にありました。


集団から孤独を感じる感覚

実はその飲み会に誘われたとき、
正直、気乗りはしませんでした。

「なぜ孤独感を味わうであろう場所に、わざわざ行かなきゃいけないのか」


そんなひねくれた気持ちすら抱えていたのです。

私は学生時代から「集団に入ること」が苦手でした。


聴覚に弱さを持っていると、周りがきこえる人ばかりの場面下では
こんな状況を経験します。

会話がどんどん進んでいってしまい、気づけば
「何を話しているのかわからないまま」時間だけが流れていく

そのときの感覚は、

まるで自分だけが透明人間になってしまったような、
すーっと存在が消えていくような

そんな感覚でした。
これはずっと私にとっての弱さでした。

だからこそ、富士山というイレギュラーな場所でも
飲み会に参加するのには大きな勇気が必要だったのです。


泣いた理由は「実感の上書き」

しかしその夜、私はじんわりと

「みんなが私と会話しようとしてくれている」優しさ

を感じていました。

一緒にいた仲間からも、こう言われたのです。

「ちゃんとみんな、こゆんと話そうとしてるのが伝わってきたよ。
 だから私も安心したんだ〜」


私を輪に入れようと話を振ってくれたり、
質問を投げかけてくれたり。

たった数ヶ月しか共に過ごしていないのに。


その優しさが嬉しくてお酒を飲みまくった後の涙は、

悲しみではなく「存在を認めてもらえた安心」

からあふれ出たものでした。


孤独から安心へ

今まで、私は

「集団に入れば、少なからず孤独感を味わうことになる」


実感を持っていました。

しかしこの夜は
その実感が上書きされた瞬間でした。


孤独に結びついていた“集団”のイメージが、
初めて“安心できる場”として。

この体験は、心理学でいう「受容」に近い感覚でした。
つまり、

「わからないことがあっても、それでいい」

と思えるようになった気持ちです。

孤独を抱えながらも、誰かに受け入れられることで
自分自身をも受け入れられる――

そんなあたたかさを感じました。

「実感の上書き」がくれた変化

この経験をきっかけに、
私はまた、一歩前に進めるようになったのです。

以前の私は、

  • 集団の中にいると悲しくなる
  • 自分を消したくなるような感覚


に襲われていました。

けれど今は、

  • わからないときは「わからない」と言い、聞くことが増えた
  • 「わからなくて当たり前」と常観した気持ちを持てるようになった

もちろん、今も全部を理解できるわけではありません。

それでも「これでいい」と思えるようになったことで、
心はずっと楽になりました。

あの大泣きの夜は、
孤独に押しつぶされた時間ではありませんでした。


「私はここにいていい」と思える
“実感の上書き”の時間だったのです。


まとめ

だからこそ、この記事を読んでいるあなたに
知っておいてほしいことがあります。

聴覚障害のある子どもや若者にとって、
集団の中で孤独を感じることは決して珍しくありません。


会話についていけず、
透明人間のように感じてしまうことも

けれど、そのときに

「自分と話そうとしてくれる誰か」がいると、
大きな安心につながります。

たった一人でも、関わろうとしてくれる人がいると、
「自分には存在価値がある」と感じられるのです。

そして、聴覚にハンデを持つ方へ。

でも、だからこそ関わりを避けないでほしいと思います。


楽じゃない分、頑張ってもがいて、
それでも人とつながりを持とうとしていると、

その先にある、小さな喜びや心が動かされる瞬間に触れられます。

「わからないままでも大丈夫」
「それでもあなたはここにいていい」



誰かがそばにいてくれるとき、
勇気を出して動くとき。

そこで得られた“実感の上書き”
きっとあなたの心を少しずつ軽くしてくれるはずです!

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