キコニワから未来を生きるろう・難聴に送る、
ろう者・難聴者版の職業図鑑。
あなたの目指す働き方のヒントに。
さまざまな職種のろう、難聴者にインタビューを行い
職業紹介の記事を連載します。
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デフアスリート_フットサル選手
野寺 風吹さん
‐ 北海道出身
きこえについて
生まれつき耳がきこえにくい。(先天性感音難聴6級)
右耳はスケールアウト、左耳が80db程度。日常生活では左耳のみ補聴器を装用しており、電話は可能。
ろう学校は幼稚部のみ、小・中・高・大は地域の学校に通う。また、小学校までは聞こえの教室に通う。
普段は補聴器を装用しており、主に音声日本語を活用して聴者とともに生活やフットサルのプレーをしている。
手話はデフフットサル日本代表の活動の時に使うことが多い。
基本情報
フットサル選手(会社員)
現在はFリーグ(日本フットサルリーグ)プロチームのうち、仙台のチームに在籍する。2023年の途中まではトップ(1軍)に在籍していたが、現在はサテライト(2軍)でプレーをしており、再びトップ昇格を目指して練習に励む。
日々の過ごし方の大半はチーム練習と個人のトレーニング。代表活動に呼ばれたら参加し、国内合宿や国際大会に参加する。
フットサル選手になるまでの流れ
<野寺さんの場合>
小1 サッカーを始める
中学、高校、大学でサッカー部に所属する
大学1年
デフサッカーの存在を知る。
・デフサッカーの大会に出場。優秀賞を受賞。
・デフサッカーの代表合宿に初参加。日本代表
に選ばれる。
大学2年
・デフサッカー選手になることを親から反対され
ているなか、デフサッカー選手活動を維持する
ためのクラウドファンディングを実施。
・第4回アジア太平洋ろう者サッカー選手権大会
出場。デフフットサルの監督から声がかかる。
・デフフットサルの合宿に参加。デフフットサル
の日本代表に選ばれ、国際大会に出場。
大学卒業後
本格的にフットサルに競技転向し、Fリーグのチームに入団。
最初はサッカーからのスタートでした!
求められるスキル、必要な知識
①努力
日々の練習の積み重ねを続けること。
②忍耐力
コーチや監督からの要求、指示が自分にとって辛くても、簡単にへこたれないこと。
③ゴールから逆算する力
例えば、世界一を獲ると目標を定めたとき、達成するために必要なことを列挙して実践していく力。
④現状を認識する力
今おかれている自分の状況を正しく認識できなければ、正しい努力もできない。
定めた目標から今自分が何をするべきかを考え、練習に取り組んでいく力。
④当たり前の基準を上げるメタ認知力
一般的なプロの世界と比べ、デフスポーツは競技人口が少ないため、競争も少ない。
自分の努力の当たり前の基準が低くても代表選手になれてしまう現状があるので、常に自分の当たり前の基準を疑い、その基準を高めていく必要がある。
そのために、自分のことを客観視する力が必要。
これらのスキルを磨く為には、自分よりも実力が上の人たちがいる環境に身を置くこと。それだけでぐっと成長する機会が得られる。
デフスポーツという枠組みで見たとき、ろう学校の全国大会で優勝して日本一になることは、きこえる人たちの社会から見たら難易度は低いということを認識し、上には上がいることが意識できる環境に挑戦することが自分にとっての成長に繋がる。アスリートになるためには必要な意識!
1日の流れ
1週間の流れ
月曜日
仕事(9:00 – 20:00)
個人トレーニング&ケア
火曜日
仕事(9:00 – 17:00)
チーム練習、個人トレーニング&ケア
水曜日
仕事(9:00 – 19:00)
チーム練習、個人トレーニング&ケア
木曜日
仕事(9:00 – 20:00)
個人トレーニング&ケア
金曜日
仕事(9:00 – 17:00)
チーム練習、個人トレーニング&ケア
土曜日
チーム練習、個人トレーニング&ケア
空いている時間で仕事、勉強、読書、フットサルの試合を見る
日曜日
個人トレーニング
空いている時間で仕事、勉強、読書、フットサルの試合を見る
日曜日はオフですが、個人トレーニング等、基本的に身体を動かさない日は作りません。リカバリーのために、基本的には湯船に浸かって交代浴をしたり、サウナに行きます。
土曜日に1軍の試合がある場合、2軍チームに所属している選手がその試合の準備を行うこともあります。
スキルアップのためにしていること
マインドセット(思考の癖をつける)
- 何かを得るためには何かを捨てなければいけないという考え方
- できるかできないかではなく、やるかやらないかという考え方
- 選んだ道を正解にするという考え方
就寝前の読書
スポーツだけでは考え方が偏ってしまうため、日ごろから視野を広げられるようにするために最近また読書を始めました!
例えば哲学など、答えが決まっていないような本を読むのが好きです。
思考を深めたり、整理することができるので、その力が養われることで仕事にも、スポーツにも活かされるのではないかなと思っています。
本を読むと落ち着くんです。
教えて!センパイの経験談
この仕事を始めたきっかけ
フットサル選手になろうと思った経緯を教えてください。
まず、サッカーの話から入りますね。
小1からサッカーを始め、中・高・大学では部活でプレーをしていました。 大学に入ってから知人の紹介でデフサッカーの存在を知ったんです。
そしてデフサッカーの大会に出場し、そこで優秀賞を受賞しました。
その後、デフサッカーの代表合宿に参加すると日本代表に選出され、国際大会に出場しました。そこにデフフットサルの監督が視察に来ていて、声がかかったことからデフフットサルの代表合宿にも参加し、デフフットサル競技の国際大会にも出場しました。
そこから徐々にフットサル競技を意識しはじめ、大学卒業後はフットサルで世界一を獲りたいと思うようになったんです。
大学生のとき、デフサッカーとデフフットサルを並行していたということでしょうか。
うーん。並行というよりは先ほど言った、デフフットサルの合宿に参加したあと、どちらかの競技を選ぶ必要があったんですよね。
直近で国際大会があるのがデフフットサルだったので、デフフットサル選手の道を歩むことを決めました。もともと北海道出身なので、フットサルに馴染みがあったんです。
両立はせずに、そのタイミングでフットサルに転向されたんですね。
北海道はデフフットサルが盛んなのでしょうか?
北海道は、冬になると豪雪になるのでその間はサッカーができないんですよね。それもあって室内でできるフットサルの競技人口が多いんです(笑)
あぁ~っ!!なるほど、それは盲点でした(笑)
ところで、今のような働き方やアスリート雇用のことを学生時代から知っていたのでしょうか?
いや~全く知らなかったね。そもそも小学生はプロのサッカー選手になりたいとは言っていたものの、中学生で獣医師になるのが夢だったのかな。
犬が好きだったので(笑)
高校の時はスポーツトレーナーになりたくて、アメリカのスポーツトレーナーの資格を取得したい夢があったものの、英語が苦手なので断念しましたね。その次は理学療法士を目指していました。
ということは、サッカー選手やフットサル選手になろうとは思っていなかったのでしょうか。
はい。思っていませんでしたね。
代表を辞退しようとしたことも…
あ、そうそう。これは余談ですがこの韓国の大会(第4回アジア太平洋ろう者サッカー選手権大会)を最後にデフサッカーの日本代表を辞退しようと考えていたんですよ。
そうなんですか?!その理由をお尋ねしてよいでしょうか。
経済的負担が大きかったのが理由です。当時は大学2年生だったので、授業が多いなか週6で練習をしていました。さらにアルバイトもしていたので、当時のことを考えると、かなり無理をしていましたね。
アルバイトを深夜1時に終え、朝の6時半から練習をするという生活をしていたので、スポーツ選手としてはケガをしやすい状態であり好ましくない生活を送っていました。
それに、韓国でのアジア大会に向けて貯めていた資金があっという間に無くなり、また次の国際大会のために資金を貯めるという自信がなかったので一旦デフサッカーは休もうと考えていたんです。
デフリンピックでよく聞く話ですが、知名度が低いがためにスポンサーが集まらず、自己負担がとても大きい現状があるということ。
また、それによって国際大会を辞退される方もいらっしゃると聞いたことがありますので、野寺さんも同じ状況になっていたんですね。
そうなんです。そのことを大学の蹴球部の顧問に相談したとき、顧問の先生から
「OBにデフサッカーの選手もいるから、デフスポーツ界は経済的負担が大きく、厳しい現状であることは聞いている。でも、君が今ここで日本代表を辞退したらデフサッカー界は変わらない。継続していける道を自分で作ってみたらどうだ?」
と助言をいただいたんです。
そして大学2年の時、僕はクラウドファンディングに挑戦しました。
えっ!?行動力がすごいですね!
ありがたいことに110万近く集まり…
ええっ!?さらっと言いましたけど、むちゃくちゃ凄いことじゃないですか。ってすみません、驚きすぎて話を遮ってしまいました。(笑)
あはは(笑)そのページは今でも残っています。
あわせて読んでいただけると嬉しいです!
クラウドファンディングをした理由として、選手として生きるにはスポンサーになっていただける企業を見つけて支援いただくのが王道スタイルかと思います。
でもそれが自分の実績では難しい現状にあり、スポンサーになってくれる企業を見つけたとしても、それでは他の選手からその過程が見えないので、1つのモデルとして可視化できません。
クラウドファンディングで公開することで、同じような境遇に置かれている選手に代表選手を続けるための資金集めの1つの方法を示したかったんです。そして、そういった現状があることを社会に伝え、デフスポーツの普及にも繋がると考えて実施しました。
なるほど。なんというか、資金を集めるというその場しのぎ的な考えで終わらせず、その先に繋がるような行動も考えていたのですね。
そうですね。そして、集まった資金は次の国際大会で消えてしまうのは分かっていたので、その行動力をブランディングとして、スポンサーになっていただける企業を探していき、株式会社メルカリ様にスポンサーになっていただけました。
まだ学生で実績もない状態ではアスリート雇用をしていただける企業は見つからないだろうなと考えていたからこそ、クラウドファンディングという方法で資金を募りつつ、成功させることでその行動力を評価してもらいアスリート雇用をしていただけるような流れを考えた結果です。
いやはや…感銘を受けました。並大抵の人間ではそこまでの考えに辿りつかないと思うのですが、そういった思考力はどこで養われたのでしょうか。
誰にでもいえることだと思いますが、自分から見た自分の評価と、他人からみた自分の評価にはズレはあると思うんです。
そして、社会からみた障害者スポーツは資金集めが難しい分野でもあります。そう考えたときにSNSなり、できる方法を編み出していくことで自分の付加価値を高める必要があるのではないかという考えに至りました。
クラウドファンディングに挑戦した時は ”All or Nothing” という方法をとりました。それはすなわち、もし達成できなければ集まっていたお金も貰えないことを意味します。
達成できればデフサッカーを続けるし、できなければデフサッカーを辞めようと覚悟を決めていたんです。
えぇぇぇ。それは相当な覚悟じゃないですか。
そうですね。家族からの協力がある選手もいるなかで、自分の場合は親から大学でサッカーをやることを反対されていたし、デフサッカーをやることも反対されていました。
「 自分がやりたいんだったら自分でなんとかしなさい。」というのが当時の親の方針であり、顧問の先生にもそう言われていたので、覚悟を決めるしかなかったんです。
なので、”クラウドファンディングが失敗に終わったとしてもデフサッカーを続ける”という選択肢は僕にはありませんでした。
・・・。(言葉を失う)
なので、やり切ったとして達成できなかったら、それはそれで仕方ないと思っていました。やり切ったら自分はそれで納得できるから。
それぐらい追い込まれていました。ただ、それが無事達成できたので、今こうしてデフフットサル選手としてインタビュー受けられています。
そうすると、大学2年生のときのクラウドファンディングが達成できなければ、デフサッカーやデフフットサル、今のフットサルチームにも…
やってないと思います(笑)
代表の辞退を考えたのは1度だけではない?!
そんな状況下におかれていても諦めずに続けてきたからこそ、次世代を生きる子どもたちにとっては、野寺さんのように活躍されているロールモデルを見て、プロを目指そうとしたり、デフスポーツとして国際大会に出場できるんだという希望を持てるんじゃないでしょうか。
そうなるといいなと思います。実は代表の辞退はもう1つあるんですよ…(笑)
おおっ?何があったのでしょうか。
大学に在学しながら株式会社メルカリにサポートしていただいたとき、契約内容はインターンと同様の扱いだったんです。期限が大学卒業までという条件でしたので、卒業後はどうするか選択を迫られる時期がやってきます。
親は大学卒業後は一般企業で働いて欲しかったようなので、サッカーを続けることは反対されていました。なので大学3年生のときは国際大会には出場しつつ、就活をしていました。
国際大会があるなかで、就活となると落ち着かないですね。
ほんとに。ところが、世界一を獲ると宣言してクラウドファンディングを実施し、お金も集まったのにデフフットサルのワールドカップでは10位に終わってしまいました。
とても支援者に顔向けができないなと思い、帰国後はスパッと就活を辞めて大学卒業後もデフアスリートの道を進むことを決断しました。そういう経緯もあって今は続けていますが、もしもその時のデフフットサルのワールドカップで優勝していたら…。
多分そのまま就職していたと思います。
デフフットサル選手を続けることにあたり、2度も岐路に立たされていたのですね。
楽しい瞬間
ほかの職業の場合も、仕事をしていて楽しい瞬間は?とお聞きしているのですが野寺さんの場合はどうですか?
大会で好成績を残せたときですかね。
ただ、犠牲にしてきたことはその分大きかったかな。
犠牲というと?
遊びに行けなかったり、旅行に行けなかったりといったところです。それはもう大学生の時からですね。
「クラウドファンディングで支援いただいているのに、遊びに行っていいのだろうか?」という葛藤があったり、追い込まれていたのでずっと練習していたし、プレッシャーが重くのしかかっていたのでそういった面で犠牲だったかな。
現在も、プライベートではチームメイト以外の人との交流もほとんどありませんから。
なるほど。それに関連して次の質問です。
悩んだこと、悩んでいること
デフサッカー選手、デフフットサル選手を続けることの苦悩は先ほどお話いただきましたが、今後の悩みでいうとどんなことがあげられますか?
将来のことかなぁ。いつまで選手を続けるか、選手を引退したあとどう生きるか。が悩みですね。
2024年3月の冬季デフリンピックまでは、世界一を獲るためにどう動いていくか考えていました。そのためのチーム選びや、住む場所、環境を整えてきたので、フットサルが人生のなかでも最優先事項でした。
歳のこともあり、結婚等の現実的なことも考えるようになってきましたよ(笑)
世界一を獲ることに集中して突っ走ってきたけれど、それも終わり、次の目標を定めていこうとしているところということですね。
そうですね。次のデフリンピックに向けてデフフットサルを続けるのであればそれなりの覚悟が必要だし、僕の場合は聴者のFリーグのトップの舞台で活躍したいという想いもあるので、何が自分にとって後悔のない人生でいられるか模索中というところではあります。
きこえる人との協働の仕方
普段はFリーグのチームに所属されているということで、きこえる人とプレーをされていると思います。そのなかでどのような工夫をされていますか?
体育会系の文化が根強いことを考慮しつつ、自分が耳がきこえにくいことによる気まずさが生じないような気遣いを心掛けています。
積極的にコミュニケーションをとるようにしていますね。
気まずさというのは…?
耳がきこえにくいことで、タブーな話題を控えようというような変な気遣いをさせてしまわないようにしています。特別視されずに対等に話し合ってもらえるよう、自分から話しかけたりしています。
学生時代のこと
これまで困難を乗り越えてきた野寺さんですが、子どものころはどんな性格でしたか?
負けず嫌いでしたね。(笑)
偏見ですが、アスリートには負けず嫌いが多いような気がします(笑)
それから、長期の目標よりも期間を設け、短期で目標を達成することを得意とするタイプでしたね。高校受験がそうでした。
市内で一番偏差値が高い高校を志望していたんですが、結局2番目の高校に入学しました。でも、受験の半年前に受けた模試では、2番目どころか3番目の高校の合格率もわずか2%だったんですよ。まわりからは無理だと言われましたが、反骨精神から半年の間、死に物狂いで猛勉強して成績を上げ、無事に合格しました。
凄まじい反骨精神ですね?!負けず嫌いな性格が影響していますね。
それはあるかもね。浪人時代もそうでした。当時住んでいた地域には予備校もなかったので、自ら進んで自宅浪人をすることにしました。まわりからは絶対受かるわけないと言われていたなかで、それでもやり切り、1浪で志望していた大学に入ることができました。
その1年という期間が設けられていたからこそ、頑張れたんです。
いやぁ、もっと話を聞きたくなります。小学生でも中学生でも、高校生でもいいのですが、学生時代で記憶に残っていることはありますか?
う~~ん学生時代かぁ…、あんまりいい思い出がないんだよねぇ。
というのも、小学校から高校の途中までは人間関係に悩むことが多かったかなぁ。全学年できこえない人が僕1人だけだったので理解も少なく、いやがらせみたいなことはずっと受け続けていました。それに対して口論になったり、先生からも理解されにくかったのでグレていたなぁ。
小学校の時は途中で学校から帰ったりしてたんで。
早退ということですか?
「あーもう帰るわぁ。」って言って帰ってた(笑)
それぐらい反抗していたというか、明らかにこちらに落ち度がない時はしっかり対抗していたかなぁ。
そんな生徒で、人間関係にはずっと悩まされていたけれど、高校の途中から考え方を変えたら人間関係に悩むことはなくなったかな。
へぇ。具体的にはどういう風に考えを変えたのでしょうか?
もともとは発音が悪く、それをからかうような嫌がらせを受けていて、「やめて」と伝えているものの、なぜ自分が嫌な感情を抱いているのか分析ができていなくて。
ふと、なぜ嫌なのか自然と振り返ってみたときに、ろう学校での地味な発音の練習だったりと辛かった過去があるなかで、
「発音を馬鹿にされるのは、過去の自分の努力を否定されたからだろうな。」
というように、 自分の喜怒哀楽の部分の感情を深掘りしていったんです。
”発音をからかわれるのは、自分の努力を否定されたことと同義。その努力を、今からかっている人は知らない。だからそいつにいくら言ったところで伝わらないよな。だって見ていないんだもの”
というように割り切れるようになったのが高校生の時。
なるほど。高校生にしてそういった分析をされていたんですね。
自分はただただ、認めてほしかったんだと思うんです。
”でも相手は見ていないのだから、自分が認めてあげればいいや”と思うように。そこから自分で感情をコントロールできる部分と、コントロールできない部分とに分けることを意識するようになりました。
人間関係の部分は自分ではコントロールできないところなので気にしても仕方ないと思うようになりましたね。すると、行動力もつくようになりました。
学生時代にしておくべきこと
野寺さんが思う、学生時代にしておくべきことってズバリ何でしょう?
①いろんなことに挑戦すること
②自分の感情を深くまで理解し、
自分の在り方を見つけること
③いろんな人の考え方や生き様
に触れること
④挫折すること
といったところですかね。
さいごに…
座右の銘
日ごろから心に留めている言葉を聞くことで
その人となりや、その人の歩んできた道が
垣間見えると思い、聞いてみました!
最後に座右の銘を聞かせてください!
”No pain, no gain”かな。
その言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか?
「なにかを得るためには何かを捨てなければならない」に通ずるものがあると思っていて、人生には優先順位があるかと思います。
やりたいことがたくさんあると思うけれど順位付けをして、順位が低いものに関しては、時にはやらない選択をしていく必要がある。だからこそ、何かを捨てるという痛みなくして何かを得られることはないというのが僕の考えです。
なるほど、そのためには自分が何に喜びを感じて、どんなことが好きなのか分かっておく必要がありますよね。
それこそ、学生時代にしておくべきことの中の「自分の感情を深くまで理解すること」がこれにあたりますね?
まさしく!一度にあれもこれもやっているようでは、中途半端になってしまいますからね。
デフフットサル選手という生き方を選択された野寺さんの働き方と、深い一面をみなさんにお伝えできたのではないかなと思います!
ありがとうございました!!
こちらこそありがとうございました!
中高生へのメッセージ
みなさん、自分のやりたいことに挑戦していますか?無難に生きていませんか?
もし、まだ自分のやりたいことがわからない人もいるかもしれません。
それはそれで大丈夫です。でも、これだけは言えます。
いつだって自分の人生を決めるのは自分です。誰もあなたの人生に責任を負ってはくれません。だからこそ、将来後悔しないように自分のやりたいことをやり、それに挑戦して欲しいと思います。もし失敗しても、何度でも立ち上がればいい。最後に笑えれば全て良いんです。
もっとあなたのやりたいように過ごしてみてください。きっと楽しい人生が送れるはずです。